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それは不本意だったことなのに、そういってはにかんだ先生の笑顔は渡り廊下に差し込む春の煌きよりもずっとまぶしくて、そのせいで僕は不機嫌になるタイミングさえ逃してしまいました。
「つい、桜が綺麗なもので、見とれてしまいました」
僕は窓の柵に頬杖をついたまま、わざと先生と目を合わせませんでした。
けれども先生はたおやかに躰を返して窓際の手すりによりかかり、その細い首をくいっとして僕の顔を覗き込みました。そして僕に一言、そっと零しました。
「今だけの特別な時間って、何よりも大切だからねぇ」
その時の先生のやわらかい表情は、一瞬でこの蒼い心を釘付けにしました。
先生が授業なんかよりも大切な、僕の特別をわかってくれる、そんな幻想が確かにそこにあったのです。
そして女性のことをとても上品で綺麗だと感じたのは、そのときが初めてだったのですから、どれだけ僕が夢心地でいられたのか、言葉で表せるはずもありません。
それから先生は渡り廊下の窓を開けてこの春の清々しい風を味わおうとしていたのだろうと思います。
カラカラッとレールが滑る乾いた音を追いかけて、白いレースのカーテンと、先生の長くて艶のある黒髪が翻りました。
その瞬間のことです。窓際のカーテンに先生の姿が隠された隙に、桜の花びらたちが春のそよ風に乗って、先生の躰を包んでいました。
それに気づいた先生は、微かに口許を緩めました。
思わず気を取られたのでしょう。
先生はふわりと舞い込む花びらをつかまえようとして手を伸ばしました。
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