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仕事場を出ると、まず星を探すのが癖だった。
大通りに出る直前。路地裏の隅で立ち止まると、いつものように夜の空を見上げる。しかしそこには星など無く、ビルの隙間からはいつものっぺりとした東京の闇しか見当たらないのだが。
思春期の女子でもあるまいし、俺は何故こんなことをしているのだろう……そう思っていても、毎夜同じことを繰り返してしまうのだから馬鹿馬鹿しい。
――“オリオン座の三つ星はとても近くに見えますね。でも、これらの星は……”
そう。始まりは、小さい頃に聞いた天体の授業だったかもしれない。
「おにいさん! 似顔絵一枚どう?」
背後から声を掛けられたのは、そんな夜だった。
仕事場から数メートル進んだ大通り。振り返ると、都心の薄汚れた高架下に一人、似顔絵の色紙を並べている女がいた。
既に夜の十時を過ぎている。明日は休日だが、すぐにでも帰って体を休めたい時間帯だった。そうでなくても似顔絵などこの辺りではよく見る光景で、いつもなら足など止めない。
だけれど、気まぐれでちらりと絵を見て、上手いな、と思ってしまった。
この人通りの多い道端で商売をしているくらいだから、多少の腕はあって当たり前だろう。だが、見本用に描かれた芸能人の似顔絵はよく特徴を捉えている。ラフに描かれているが、無駄のない水彩の筋。
「ね! 一枚十分で二千円! どう?」
女は近寄ってくると、馴れ馴れしく腕を引っ張ってきた。まだ学生くらいだろうか、艶のあるボブの髪が肩に触れる。足を止めてしまったせいでカモだと思われたらしい。俺はしかめ面でその腕を振り払おうとした。
「触るな。邪魔」
「ああん、おねがいします。もう白が尽きそうなの。半額でもいいからさ!」
「……白」
見ると、女は泣きそうな顔でヘロヘロになった白の水彩のチューブを持っていた。
……なんだ、こいつ。生活費の心配じゃなく、残りの絵の具の心配をしているのか。ボロボロのツナギや化粧っ気の無さから、どこぞの苦学生が小銭を稼いでいるのかと思ったが。
そう思いつつ、先を行こうと試みた。が、女は俺の腕を離さない。
「ね、似顔絵が駄目ならさあ、今夜一晩! ホテル一泊、二万でどう?」
多くの通行人が行き交う中、大声で問題発言をする。
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