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オレンジの返り血
1
ヴェルター青年はこの日を心待ちにしていた。
冴えない出自ながら確かな技量を認められ。若くして市長付きの料理人として働くようになってからというもの、今日ほどの大仕事は未だかつて経験が無い。期待に胸を膨らませながら、やってやるぞと腕を振る。早朝の街は穏やかな沈黙に満ち、朝日は柔らかく大通りの石畳を照らしている。足取りは軽い。
南方の密林地帯で魔獣討伐の任を果たした勇者が帰還したのはほんの数日まえのことであった。昼夜問わずの長きに渡る死闘だったということだが、そんなことはヴェルターにとってはどうでもいい。勇者一行によってもたらされた土産のうちのひとつが瞠目を禁じえぬ珍味だったということで、急遽国王を招いての会談の折に供されることと相成ったのである。
顔なじみの衛兵に目配せだけで挨拶し、市長邸に足を踏み入れる。裏口から厨房にまわれば、料理長をはじめとした幾人かが既に到着していた。
「ヴェルター。おまえにしては遅いじゃないか」
料理長は青年の姿を認めると鷹揚に頷いた。厨房を取り仕切る中年の女性で、その人柄はばっさりと切り揃えられたベリーショートの黒髪とくまの浮いた鋭い目つきに表れている。
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