オレンジの返り血

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「現場には、バロメッツの殻が残っていませんでした。真実を覆い隠すため、犯人が持ち去ったのです。部屋を調べさせてください。あなたが貴重なバロメッツの殻を、捨ててしまうとは思えない」  震える声が言い止むと、二人の間には永い沈黙が横たわる。杖を床にたたきつける硬質な音だけが老人の書斎に響いている。――その時ヴェルターは、あるひとつの致命的な見落としについて気が付いた。  凶器である。犯人はいかにして、被害者にあのような傷をつけ、死に至らしめたのか。それが明らかになっていない。老人はこの瑕疵を突いてくるだろうか。箍が外れたように噴出してくる焦りと恐怖をなんとか必死に抑えつけながら老人を見据える。その口が、ゆっくりとひらく。 「……貴様はひとつ、間違っている」  そういって老人は、杖の取っ手を持ち上げた。杖は二つに割れ、取っ手の先からほっそりとした刀身が露わになる。からんと音を立てて、鞘が床に転がる。  老人は呵々と嗤いだした。濃い影の奥の淀んだ瞳に見詰められ、論理の武装が白刃の前にどれだけ無力かということを思い知らされる。老人には初めから、いつでも殺す用意があったのだ。 「貴様はわしがガストロノミアの誇りを護るために奴を殺したと言ったが、そうではない」     
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