こたつ病についての記述

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大正末期、東北のとある山間の農村での話である。 村の中から聞こえるうめき声。 その声の主は、太吉という11歳の少年だった。 その病はこたつ病と言われた。この地域の風土病である。 ある日、背中が盛り上がり出し、激しい痛みに襲われる。 患者は痛みで仰向けに寝る事が出来ずに、うつ伏せで寝ると布団が盛り上がり、それがこたつの様に見える事から、こたつ病と言われた。また冬に多く発症し、瘤が発熱するのもその由来だ。 瘤はじきに宿主の自由を完全に奪い死に至らしめる。 太吉はその病に侵されていた。 病の原因は概ね分かっていた。 それは寄生虫である。水辺である種の貝類に寄生する寄生虫が、間違えて人に寄生すると悪さをすると推測された。通常じゃあり得ない状態に、突然変異するのだ。なので水に入る事が多い夏場に寄生し、数ヶ月潜伏、冬に発病する事が多くなるのだ。 なぜか、寄生虫は体内に侵入すると背中に移動して、肉と脂肪の間に巣食い成長を始める。それは宿主から栄養を奪いどんどん広がり、じきに背中の全面を覆うと、今度は縦に成長しだす。盛り上がるのだ。 そうなると、脊髄の神経にまで寄生虫の触手が根のように張り、激痛を発するようになる。そして、じきに完全に自由を奪う。 大体の原因は推測出来ていたが、まだ実証は得られていなかった。 太吉のうめき声に耳を塞ぐように静まり返っていた村が色めき立つ。 2日前に、太吉の父親が呼びに行っていた医者が、太吉の父親と共に街から来たのだ。 その夜、すぐに太吉の手術が行われ、一晩かけて背中から寄生虫が剥ぎ取られた。 その大きさは枕ほどあったという。寄生虫は太吉から剥がされた後も暫くモゾモゾと脈打ち動いていたが、タライの中でじきに腐敗し始めて動かなくなった。 あと一歩処置が遅れていたら太吉は助からなかっただろう。医師は言った。 太吉はその後、後遺症なく回復したと伝えれるが、こたつ病が根絶されたかは伝えれていない。 医者が持ち帰ったこたつ病の原虫も、腐敗が酷く正体の特定は出来なかったという。 また太吉の村も、廃村や統合で現在のどこに当たるかは分からない。 ~以上、古の風土病こたつ病についての記述である。
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