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「今度父さんが来ても……相手をしなくていいから」
俺はキッチンでフライパンに卵を落としながら言った。
朝早くから朱音の声が枯れるまで身体を揺さぶったお詫びに、朝食は俺が作ることにした。俺の荷物を運び終わった日、家事は手の空いている方がすると決めたのに、実際は朱音がすべてやってくれていた。
「うん……」
朱音はテーブルを拭きながら頷いた。
朱音は身寄りがない。正確には身寄りがないも同然、だ。だから、家族がいるのなら大切にするべきだと思っているかもしれない。だが、俺は父さんと和解する気はないし、叔母さんを『母さん』と呼ぶつもりもない。
朝食の後、二人で買い物に出た。三、四日分の食材と、洗剤やらの日用品を買い込んだ。一度帰って食材を冷蔵庫に入れてから、二人で探索に出かけた。
マンションから駅に向かっては道も店も覚えたけれど、逆方向には行ったことがなかった。朱音も同じだった。
マンションから十五分ほど歩いたところに、朱音が好きそうな可愛い雰囲気のカフェを見つけた。今でこそ部屋に雑貨を飾らなくなったし、持ち物もシンプルなものが多いけれど、大学時代の朱音はとにかく可愛いものが好きだった。しかも、朱音の可愛い基準が少し人とずれていて、俺にはその可愛さが理解できないものを集めていた。
カフェを見つけた朱音は明らかに入りたそうに目を輝かせているのに、そうは言わない。喉が渇いた、と誘ったら俺の手を引いて小走りでカフェに飛び込んだ。
やっぱり、変わってないな……。
再会してすぐの頃は、朱音が別人のように変わってしまったと寂しく感じたこともあった。けれど、一緒に過ごすにつれて、彼女の本質は何も変わっていないと安心した。
彼女が好きだった可愛いものをそばに置かなくなったのも、やけに地味な服装なのも、口数が減って自信なさ気なのも、笑わなくなったのも、元カレのせいだろう。
俺が朱音といることで笑顔と温もりを取り戻せるのではと思うように、朱音も俺といることで本当の自分を取り戻しつつあると感じた。
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