波打ち際の人魚

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 小秋は人魚を見つめたままの姿勢で、声だけで護衛の者に命を出した。 「通達して!本日この時より、志国内での一切の網漁を禁止」 「し、しかしいきなりそのような事を」 「いいからやりなさい!」 「はっ、承知致しました」  護衛の男達は、その場でスマホを取り出すと、どこかへ連絡をした。  恐らくは、この国の漁業組合と思われる。 「釣り針は、流石に大丈夫よね」  小秋が問うと、人魚は小さく頷いた。 「今日から、海での漁は一本釣りと素潜りのみとする事」  小秋は追加とでも言うように、大声を出した。 「おいおい」  流石にこれには春馬も黙ってはいられなかった。 「なによ、止める気?」  振り向きざまに小秋は春馬を睨みつけた。  こうなると誰にも止められない。父である冬師であっても。  春馬は制止するのを諦めて、ため息をつきながら言った。 「養殖は禁止しなくてもいいんじゃないか」  そんな事言うつもりではなかったが、今の小秋に何を言っても無駄な事は明白だった。 「あ、当たり前でしょ」  そう言って、三たび人魚の方を向いて、小秋は微笑んだ。 「これからは安心して泳いでね。でも、その怪我はどうしよう…」 「あ、ありがとうございます。このひれは、こうして潮に打たれていれば、あと三十分程で回復致しますので」 「そうなの?じゃあ、回復するまでここにいてあげる」 「姫、この後まだ闘犬場の視察が」 「待たせといて」  困惑している護衛達に、春馬は小さく首を振った。  諦めろ、と言わんばかりに。 「で、でも、大丈夫ですから」  そう言う人魚に、小秋は大げさに首を振って言った。 「誰かに見付かって、捕らえられたらどうするの。標本とか、実験とか、されたくないでしょ。だから、治るまで私が見張っててあげる」 「標本か・・・なるほどその手が」 「お兄ちゃん!」  春馬が小声で呟いたが、小秋が鬼の様な形相で振り向いたため、春馬はその考えを打ち消した。  やがて、怪我が回復すると、人魚は何度も何度も頭を下げながら海へと帰っていった。  その姿が見えなくなるまで、小秋はいつまでもいつまでも手を振っていた。 「うーん、ちょっと勿体ない気も」  春馬が言いかけたところで、小秋はそれまで振っていた手を、そのまま春馬の頬に振り下した。  
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