一章

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 だが友永は、その時初めて自分のやったことを全否定されて、神田への本能的な怒りと、そして肚の底に言いようのない自分自身への苛立ちが沸き起こるのを感じた。  その衝動を、しかし暴力的なやり方で発散するのは、自覚したばかりの自分の自尊心への裏切りであることが友永には解っていた。だから友永は演技を変えた。演技をしている自分を意識することをやめた。集中した、爪の先まで、脚本に描かれた主人公の人格を映すように。  四回目も駄目だった。神田は「まだだ」と言っただけだ。  五回目、六回目、七回目とそのまま続け、八回目、神田は暫く黙っていたが、「変えろ」と一言言った。  変えろ? 友永は既にかなり疲労を覚えていた。演技が疲れるものだということも初めて実感した。肉体の疲労というよりは、集中力にエネルギーを使うため、脳が疲れる。「変えろ」と言われても、脳の処理が追い付かない。それでも、ここで音を上げるのは嫌だった。  だから変えた、つもりだった。だが神田は「変わってない、変えろ」と突き放す。もう一度変える。主人公の感情の解釈を変える、台詞の抑揚にも、手の仕草にも、表情の在り方にも、別の可能性はいくらでもあることに、何回目かの「変えろ」の後に友永は突然気付いた。     
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