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どんな技術革新も、人類の潜在能力をすべて把握するには至らず、結局古代から脈々と生き続けてきた、なんだかよく分からない、しかし確実に存在する力に招来を委ねる結果になってしまったのです。それはまさしく、
宇宙時代に
魔法を使う
術者が世界を
跋扈する
ともてはやされた通りでした。
しかし当然偽物も沢山登場するに及び、多くの人が騙されて、時には命を落とす事もあり、時の政府は種族を問わずその手の行為をライセンス制にして、安全性と品質を確保する様になりました。それは地球内部だけでなく、やがて周辺諸国までも波及し、国際ライセンスが作られました。
このライセンスを受けた者は、太古の地球に存在した異能者の、国家における仮初めの職業名に因んで「儒者」と呼ばれました。ただ、この「儒者」になるは、ジャンルを問わず精神世界の問題を扱う全ての職能から専門とする分野ひとつについての圧倒的スキルと、人間性、言い換えれば適正審査に合格する事が必要とされました。
真実を愛でる心を常に持ち、己を律して行動し、
人に傲らず侮らず、信義にあつく嘘言わず。
共に語れば教養と誠意に満ちた温かい言葉に誰もが
心酔し、別れを惜しみ涙にくれる。
儒者と会い、浸る至高の時は過ぎ
戻る世俗の何とお粗末!
なんてふざけた、けれども本音丸出しの歌謡がもてはやされたのも事実でした。教養深き好人物。けれども一分の隙もない。それが犯すべからざる儒者の人間像でした。ただ、この時代の「儒者」は、とある大陸のとある古代国家にもいた、あの「儒者」とは異なる事を、ここでは申し添えておきます。
儒者の存在は、どこの人類、異種族、精霊であっても、見過ごせない存在感をもって受け入れられました。儒者の方でも敢えて他者の営みに干渉する事はなく、微妙な均衡を保つ事になりました。
儒者を育成する事は至難の技です。ここ数百年の間にも、幾度か専門教育の機関が作られ試されて失敗続けておりました。儒者を育てられるのは、儒者だけ、というのがこの当時、共通にして唯一の認識事項でありました。自分一代限りと決め込んで、後進育成に興味を示さない儒者もいましたが、通常儒者は弟子をとり、次世代の儒者を育てるというのが標準的な在り方で、儒者は儒者の弟子たちの中から誕生する事がほとんどでした。
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