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JST/20XX.12.31.15:00 Yokohama.
横浜にある小さな島を利用して作られた海をテーマにしたアミューズメントパークには、峰岸諒一(みねぎしりょういち)と辰巳一哉(たつみかずや)の姿があった。ともに二十六歳の彼等の職業は、弁護士と極道の若頭というものである。
幼いころから付き合いのある、所謂幼馴染という関係の二人だが、これまでの間には九年という長い空白が存在していた。そして、その九年を経て、現在は恋人という関係にこの二人はある。
一カ月ほど前、二人で一緒に年を越さないかと、諒一から一哉へと打診があった。奇しくも今年の年末は、一哉の実家である辰巳組の組長である辰巳一意(たつみかずおき)も嫁を連れて旅行に行くという。一度断りかけた一哉ではあったが、そう遠くない場所なら好きにしろと一意の許しが下りた。というよりも、現在一意はほとんど組の仕事をしていない。いやむしろ帰ってこないから困るのだが。
それでも一意が組を任されるようになって以来、当人の面倒嫌いな性格からか、無駄な義理事は激減していた。極道の看板を掲げつつ、今や完全に経済ヤクザと化した辰巳組を仕切っているのは、本部長の設楽尊(したらみこと)と一哉である。当初は文句を言う年寄りもいたが、組が力を付けるにつれてその声も小さくなった。
そんな訳で一応設楽の了解も得、諒一の希望通り一哉は時間を空け現在に至る訳だが、どうにもその諒一の顔色が優れないから困ったものだった。
一哉の運転は荒いからと、確かにここまでハンドルを握ってきたのは諒一だ。が、それよりも前、顔を出した時からあまり調子が良いようには見えなかったのだ。
「なあ諒一様よ。お前、体調悪いのか?」
「いや、大丈夫だよ」
気を遣わせたくないという態度をありありと浮かべる諒一に、一哉の眉間には自然と皺が寄る。
「どうせ夜まではまだ長いんだ。先にホテルにチェックインして少し寝ろ」
「……イルカショーが十五時半からある」
顔色は優れないものの、イルカだけは譲らないと諒一の顔が訴えていた。この日のチケットを取ってからこちら、諒一が事ある毎にイルカショーが楽しみだと嬉しそうに語っていたのは一哉も知っている。
歩き出そうとした一哉の袖をきゅっと掴み、子供のような顔で訴える諒一が可愛かった。
「なら、ショーを見たら一旦寝ろよ?」
こくりと大人しく頷く諒一に苦笑を漏らし、一哉はショーの開催されるエリアへと足を向ける。時間を調整しがてら売店を見るともなく眺めていれば、ひとつの棚の前で諒一の足が止まった。
「どうした?」
「イルカが…」
ぽそりと呟く諒一の視線の先には、言葉通りイルカの形をしたバスケットボールくらいの大きさのぬいぐるみがあった。随分とデフォルメされたぬいぐるみのつぶらな瞳を見つめ、諒一が思案顔をする。どうやら買おうか買うまいか迷っている姿に、一哉は棚からぬいぐるみを一つ取り上げた。
「買ってくる」
「帰りに…っ」
「ショーが終わったら寝ろって言っただろぅが」
追いすがる諒一にさらりと返した一哉は、レジを待つ間面白そうなものを発見した。
「そんなにイルカ好きならこれでも被ってたらどうだ?」
言いながら一哉が棚から取り上げたのは、イルカの被り物。他にもフグやらサメやらラッコやら…、随分とラインナップが豊富な被り物がずらりと並んでいる棚の前で、一哉の手が諒一の頭にそれを乗せる。
「さすがに…これはちょっと…」
被せられたばかりのイルカの帽子を取り払い、まじまじと見つめる諒一は、だがどこか楽しそうで。
「一哉は好きな魚とかはないのか?」
「あー…、別にねぇな」
「じゃあ俺が選んでやる」
「はあ? 結局買うのかよお前」
呆れたように言う一哉などお構いなしに、諒一は棚の前で思案顔である。とうに進んでしまう列を譲りながら一哉が苦笑をしていれば、『よしっ』と小さく呟いて諒一が棚から一つを取り上げた。
「イルカ…? じゃねぇな…、シャチか」
一哉に眺める隙も与えず頭に被り物を乗せて、諒一がうんうんと頷いている。どうやら気に入った様子のそれに腕時計へと視線を落として、一哉は列に並び直したのだった。
イルカショーは全席が指定席で、諒一がよほど気合を入れたのか二人がいるのは最前列である。膝の上にイルカのぬいぐるみを抱えた諒一が、そわそわと透明なパネルの向こうにある大きなプールを見つめていた。ついでにノリと勢いで購入したレインコートはカップル用である。二人並んでイルカとシャチの被り物を被り、大きな二人用のレインコートに収まった一哉と諒一は注目の的だったが、当人たちにまったく気にした様子はない。
時折イルカが寄ってきて姿を見せる度に、つんつんと袖を引いては嬉しそうに破顔する諒一の横顔を眺め、一哉は幸せのひと時を過ごしていた。それから約三十分のショーの間、諒一がぬいぐるみも一緒にレインコートの中で大事そうに抱えていた事は言うまでもない。
ショーが終わった後も『イルカと握手会』などというイベントにまでちゃっかり申し込んでいた諒一である。レインコートを被っていたにもかかわらず、ずぶ濡れに等しい姿でイルカと握手する二人を係員がしっかりと撮影してくれた。
念願のイルカショーを堪能し、幾分か表情も明るくなった諒一ではあるが、今日のメインは年越しの為のカウントダウンである。約束通りホテルへ向かって歩いていれば、途中で園内を歩くペンギンと出くわした。
道を開けた一哉と諒一ではあったのだが、何故か諒一の足元に一羽だけ寄ってきて、ここでもまた写真を撮ってもらい諒一はご満悦である。
「好きな奴ってのは、動物も分かんだろーな」
「人間よりも鋭いんじゃないか?」
「野生の勘ってヤツか?」
「そうそう」
白い息を吐きながら話していれば、目の前にコーヒースタンドを発見した一哉だ。
「飲むか?」
「そうだな。濡れた手が凍りそうだ」
「こんな時期にイルカショーなんて自殺行為だろ。しかも最前列…」
「むしろプールのパネルに近い方が水がかからないと思ったんだが…」
一応諒一なりに考えてはいたらしい。が、その目測はまんまと外れたという訳である。
「売店のねぇちゃんに聞かれてカッパ買わなかったらお前、もっと酷ぇ事になってたんじゃねーのか」
「面目ない…」
然程人が並んでいないスタンドで一哉はカフェオレを二つ買い、片方を諒一に手渡す。
「ありがとう」
「あー…あっちー」
冷えすぎた手に持ったカップからは温かそうな湯気がのぼり、二人で顔を見合わせて笑い合う。再会を果たしたばかりの一哉と諒一にとって、今年が一生思い出に残る年である事に間違いはなかった。
それも、あと数時間で終わりを告げる。
カフェオレを啜りながら園内をゆっくり歩き、ホテルへと辿り着いた一哉はチェックインを済ませて一人車へと戻った。夜の方が冷えるだろうと、もう一着厚手のダウンジャケットを持ってきた事に安堵する。最悪、イベントエリアに行かずともホテルの部屋からも花火はみれるのだが、何より諒一が楽しみにしていた。
―――昔は近所の神社に毎年行ってたっけ…。
日の出を見て東京へ戻ったら、昔二人で初詣に行った神社へも寄ってみようとそう思いつつ、一哉はスーツケースを転がしながら部屋へと戻った。
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