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 シンガポールのシンボルともいえるマーライオンが鎮座する、その名もマーライオン公園のすぐ近く。カフェのテラス席の一角に、辰巳一意(たつみかずおき)とフレデリックの姿があった。カウントダウンイベントの行われるこの日、カップルが多いような場所に男性二人という姿はよく目立つ。それでなくともこの二人は、躰も大きく存在感が半端ではなかった。  どちらも四十八という年齢の割に若々しく、特にフレデリックは三十代半ばといっても通用するだろう。その上金髪碧眼で優し気な顔をしているものだから周囲の女性たちの目を惹くには充分すぎる。のだが…。何故か女性たちはフレデリックの顔を見、そして手元を見ては視線を逸らす。  というのも現在、フレデリックの目の前には、これでもかというくらいにケーキの乗った大きなプレートが二つ置かれていた。  片やその日本人離れした体格とは裏腹に、黒髪に黒い瞳の雰囲気はまさしくアジア人独特の辰巳も、フレデリックほどではないにせよ若々しい。が、その顔には”不機嫌”の三文字が浮かんでいる。右の頬に残る傷跡のせいか、はたまた極道というその職業のせいか、その威圧感たるや凄まじいものだ。 「おいフレッド…、俺ぁただの観光だっつぅから渋々きてやったはずなんだがな…」 「何を言うんだい辰巳。ちゃんとマーライオンがここからでも見えるじゃないか」  ほら…と、ケーキを口許に運びながらも視線を向けるフレデリックに、辰巳は鋭い舌打ちを響かせる。  元より旅行など面倒でやってられるかと言い放つ辰巳がどうしてシンガポールなどに居るかといえば、事は一カ月ほど前に遡る。  本職はフランスマフィアでありながら現在は『Queen of the SeasⅡ (クイーン・オブ・ザ・シーズⅡ)』という今月頭に処女航海を終えたばかりの新しい大型客船でキャプテンを務めるフレデリックだが、それまでは十年以上日本で暮らしていた。もちろん、現在も住所の登録は日本になっている。だがしかし…。 『日本のお正月にはもう飽きた…。たまにはカウントダウンで盛大にあがる花火を見ながら新年を迎えたい…』  そうフレデリックは言ったのだ。それからパリではシャンゼリゼ通りが歩行者天国になり、凱旋門で花火が上がるのだと辰巳に力説した。  日本にもカウントダウンイベントを催すような場所はいくつかあるのだろうが、もちろん辰巳がそんな場所を知る筈もなければ興味もない。ならば…とばかりにフレデリックが選んだのが、シンガポールという訳である。  もちろん辰巳が二つ返事でGOサインを出す筈などない。それを、年に一度の我儘くらいは聞いてくれないとフランスの実家に帰るとごねにごねまくったフレデリックが押し切ったというのが今回の旅行のいきさつだった。 「そんなに怖い顔をしていたら他のお客さんが怖がってしまうだろう?」 「誰のせいだと思ってやがるこのタコ」 「僕はただマーライオンを眺めながらケーキを食べているだけだよ」  無論フレデリックの言う事は間違っていない。間違ってはいないのだが、物には限度というものがあるだろうと、辰巳はそう思うのだ。  喉が渇いたと、少し休憩がてらカフェに行こうと言い出したフレデリックに上の空で返事をしたのが最後、このザマである。何を血迷ったのかフレデリックは、店にある種類すべてのケーキをひとつずつ、ワンプレートに乗せて持ってくるように店員に申し付けた。まあ結局、一枚では乗り切らずに皿が二枚になったという訳だ。 「てめぇはそうじゃなくても目立つっつぅのに、そんなもんはホテルで食え阿呆」 「寒くないから散歩も良いって言ったのはキミだよ辰巳」  思い切り顔を顰める辰巳など気にもせずにさらりと流すフレデリックの鼓膜を、再び鋭い舌打ちの音が震わせた。だが、そんな事など気にしないのがフレデリックという男なのである。というよりも、慣れたとでも言うべきか。  かれこれ二人の付き合いは二十二年になる。同棲を始めてからでも十年。慣れないはずもなかった。  一時は甘いものを食べて幸せそうな顔をするフレデリックを、可愛いと思う時期も辰巳にはあった。だがしかし、それはあくまでも二人きりの時であって、公衆の面前で大皿に乗ったケーキをつつくフレデリックでない事だけは確かなのだ。  とはいえど、それだけのケーキを目の前にしていようとも、フレデリックの所作は非の打ち所がないほどに優雅で美しい。それが余計に、周囲の目を惹いているのだが…。 「キミも一口食べるかい?」 「要らねぇよ」 「美味しいのに…」  残念そうな口調とは裏腹に、頗る幸せそうな顔をしてフレデリックはフォークを口許へと運んだ。それに盛大な溜息を吐いて、辰巳は通りがかりの店員にビールを頼む。  真冬の日本と違い、赤道直下のシンガポールはこの時期でも辰巳にとっては蒸し暑い。そうなるともちろん、酒の好きな辰巳はほぼ一日中ビール漬けである。  目の前に新たに差し出されたビールを半分ほど一気に飲み干し、辰巳はフレデリックの手元をみて溜息を吐いた。これでもかとケーキの乗っていた皿が、既に一枚空いている。 「お前…そんなに甘いもんばっかり食って気持ち悪くならねぇのか?」 「ならない。むしろ甘いものと辰巳がないと僕は生きていけない。スイーツのフルコースを僕は食べたい」  甘いものと同列に扱われた事を喜ぶべきか怒るべきか悩む辰巳をよそに、真顔でそんな事を言い放っておきながら、ケーキを口に入れては頬を緩ませるフレデリックである。 「うん。友人に教えてもらったんだけれど、ここのケーキはどれも美味しいね。……あ、追加で…」  後ろを通りがかった店員を優雅な仕草で片手を上げて呼び止めたフレデリックは、幾つかのケーキを追加オーダーした。その遣り取りを窺っていた周囲の人々からワオだのオーだの、感嘆だか驚愕だか判断の付かない声が上がった事は言うまでもない。 「いい加減にしろよフレッド…」  店員に非はないのだが、どうにも険しい顔で店員の背中を見送った辰巳が地を這うような声を吐く。 「俺ぁ見世物になんのなんざ御免なんだよ」 「キミにしては珍しい事を言うね。いつもみたいに好きにさせておけばいいじゃないか」  言われてみればその通りなのだが、何故か今日は気が立っている辰巳である。飲み干したビールの瓶を、ドンッ、と叩きつけるようにテーブルに置いた。次いで、じろりと周囲を威圧する。  そそくさと視線を逸らせるのが大半の人々の中、ようやく苛々の原因を辰巳は突き止めた。辰巳とフレデリックがいるカフェの隣。同じようにテラス席がある店の席の一つに座り、その男は静かに本を読んでいた。こげ茶色の短い髪はくるりとカールし、黒ぶちの眼鏡と綺麗に整えられた髭が印象的な男である。 「おいフレッド。てめぇ気付いてんだろぅが」 「何をだい?」 「すっとぼけてんじゃねぇよ阿呆。マイクみてぇな髪の色で、髭に黒ぶち眼鏡の男だよ」 「んもう…、どうしてそうキミは勘が鋭いんだろうね…」  言いながらフレデリックは静かにフォークを置くと、代わりにスマートフォンを手にした。幾つか液晶を操作しただけで再びフォークを持ち上げれば、隣の店の男が立ち上がるのが見える。  ようやく鬱陶しい視線がなくなり、辰巳は小さな息を吐いた。煙草に、火を点ける。 「誰だありゃあ」 「彼はダリウスといってね、僕の同業者。少し仕事を頼んでおいたから、その報告の隙でも窺ってたんじゃないかな? まあ、キミが気付くとは思ってなかったけれど…」 「はぁん? あんだけ見てりゃ気付くだろ」 「彼は、意識は向けていたけれど、一度も僕にもキミにも視線を向けてない」  ふぅ…と、呆れたように小さな溜息を吐いてフレデリックは微笑んでみせた。それに、辰巳は何か気付いたような顔を一瞬だけ見せたのだが、珍しくも目の前のケーキに気を取られていてフレデリックは気付かなかったのである。 「キミは本当に僕を驚かせるね。それでイライラしてたのかい?」 「常時視線を感じるのは好きじゃねぇな」 「なるほど。それは悪い事をしたね」  す…と、音もなく伸ばされたフレデリックの手が、煙草の灰を落とす辰巳の手に一瞬だけ触れて離れていった。
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