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けれど幸運の女神は、けっして美百合を見捨てたわけではない。
龍一がいつもは訪れたことのない時間、ディナータイムにその姿を見せてくれたのだ。
「りゅういち!」
と思わず声をあげて駆け寄ったら、その体に触れる寸前に、ガシリと顔をつかまれて動きを止められた。
龍一にぐいと距離をはかられて、腕の長さが違う美百合は、その体勢でパタパタと暴れる。
これはひょっとして、アイアンクローってやつじゃないだろうか。
レディに対して……。
「仕事しろ」
龍一の告げる声は冷ややかで他人行儀で、美百合は一瞬、夕べのことは夢だったのではないかと疑った。
――疑ったら怖くなった。
逃げるように厨房にとって返すと、水とお絞り、そしてディナー用のメニューを覗うように龍一の前に配置する。
龍一はメニューを開くと、うっとおしいと言わんばかりのため息をついて、
「俺が優しいのは、二人きりの時限定だ」
と小声でささやいた。
美百合の顔に一気に血がのぼる。
まったくこの人は……、天然のタラシだ!
あ、鼻血でるかも。
「『本日のお勧めパスタ』を。今度こそ口から食べたい」
発する言葉も相変わらずイジワルで、思わず『夜』を思い出してしまった。
返してもらったメニューで、恥かしまぎれに龍一の顔をはたく。
「くそっ」
龍一が漏らす、人間らしい悪態がうれしい。
そんなやり取りを、すっかり見られていたオーナーに、
「今日はもうあがっていいわよ。彼と一緒に帰んなさい」
と言ってもらった。
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