灰 桜

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灰 桜

― 壱 ―  見崎伊知郎(みさきいちろう)は店先に立ち、色だけは派手な紅色をした看板を見上げた。細部まで拘っている立派な看板なのだが、文庫本ほどの大きさしかない為に目立っておらず、全く役割を果たしていない。  その奇っ怪な看板には、これまた小さな文字で『骨董八屋(こっとうはちや)』と書かれている。あまりの主張のなさに、ここが店だと気付かない人も多いだろう。  こうも商売っけはないのに、何故か寂れてもおらず伊知郎は昔から不思議で仕方がない。 「あれまぁ。見崎の坊っちゃん。」  伊知郎の姿を認めて、八屋の店主が目を見張った。元から大きな目が更に開かれ、目玉が零れんばかりになっている。奇っ怪な面相に、少々気圧されてしまう。  八屋の店主は大そう不気味な風貌をしており、初対面の時にまだ幼き子供だった伊知郎は随分と恐く思ったものだ。  坊っちゃん―――と呼ばれて、伊知郎は顔をしかめた。 「坊っちゃんは止めてくださいと言っておりますでしょう。」 「まだ十五でしょうに。」 「一昨日、十六になりました。」  年が明けて三日が伊知郎の産まれた日で、去年の今頃にあの()に出会ったのだ。この一年の何と長かった事か。 「そうでしたか。もう十六で。―――ああ、ご挨拶もしておりませんでした。明けましておめでとうございます。今年もどうぞご贔屓に。」 「おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。それで―――早速ですが。店主、あの花はまだございますか?」  月々貯めた小遣いとお年玉の入った分厚い財布を握り締めて伊知郎が尋ねると、店主がまた目を丸くする。 「ええ、まだございますよ。しかし、本当にお買いになられるつもりで?」  伊知郎が(しっか)り頷くと、店主は裏手へ一度いなくなり、一分もせずに再び戻ってきた。店主の手には、どうしても欲しかったあの子がいる。  よほどお気に召したのですな―――と、店主は染々と感じ入るように言い、ひとつの鉢を差し出した。
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