灰 桜

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― 弐 ―  この子はまだ蕾である。  花びらの色は赤く一枚が大きめで、茎は二十センチほど真上に伸び、葉は肉厚で鮮やかな緑だ。花が閉じている姿はチューリップに似ている。 「ねぇ、早く開いておくれ。」  まだ蕾の花へ水をやりつつ、伊知郎はやさしく撫でるように声をかけた。  八屋店主の云うには、八日に一度は花弁を開かせるらしい。だが、前に開いたのがいつなのか分からずに、持ち帰った日からずっとやきもきしている。 ―――今日か、明日か。  今日は何となく蕾が少し緩んでいる気がするのだ。  目を離した隙に咲くのではないか―――と気が気でなく、伊知郎は朝から私室を離れられないでいた。家の者には、試験勉強の為に部屋に籠ると宣言し、食事ですら私室で済ませている。  形ばかり机に向かいつつも、熱心に蕾の花を眺めていると、ノックがあり義母が姿を現した。去年の夏に義母となった人だ。 「伊知郎さん、お腹すいていませんか?」 「お義母(かあ)さん。」  義母の持つトレーには、珈琲と手作りらしいクッキーが控えめに添えられていた。 「甘いものも良いのではないかと思って。」  自信が無さそうに義母が言う。 「わざわざすみません。頂きます。」  伊知郎が受け取ると、義母が安堵したように笑い、余計な会話もなく私室を出ていった。伊知郎はこの義母との距離感を気に入っている。  彼女のような甘さ控えめの慎ましやかなクッキーをかじっていると、机の上の花がゆらりと揺らめいた。花びらが動いている。 「あっ―――」  伊知郎は声を上げて、椅子から立ち上がり身を乗り出した。心臓から勢い良く血が吹き出し、頭がぐらぐらと揺れる。  それでも息を止めて、蕾を凝視した。  一枚の花びらが焦れるほどゆっくりゆっくりと剥がれていく。  いや、実際には息を止められたぐらいだから、全てが開き終えるまでにそうかからなかった筈なのだが、伊知郎には一時間にも感じた。  ほぅ―――と、止めていた息を吐く。  開いた花びらの真ん中には、人の顔。  目蓋を閉じた子供の顔があった。
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