小さな幸せ

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毎日縮こまりながら生きていくようになったのは一体いつからだろうか。問題ごとには関わらないようにして、周りから目立たないように過ごしていくことが普通になったのはいつからだろうか。 答えは分かりきっている。社会人になり、社会の理不尽さや周りのずる賢さに振り回されるうちに、そうなったのだろう。今の社会は真面目な人間ほど損をするような仕組みになっていると僕は思う。それなら息を潜めて適度に手を抜いた方が得をするというものだ。 学生時代のうちや入社したての頃はそんなことを考えてはいなかった。結果は努力に比例して与えられるものだと思っていたし、周りの人間はもっとまっすぐで協力的なものだ思い込んでいた。 自分で言うのは恥ずかしいが、学生の頃の僕は何に対しても前向きだったし、常に所属するグループの中心に近いところにいた。これはひとえに僕の力というよりは、周りの環境に恵まれていたということもあるだろう。僕の周りには、僕と同じように前向きで行動的な人が多く集まった。 そのこともあって、僕の学生時代というものは希望に満ちあふれていた。さっきも言ったが、周りの人がまっすぐで協力的だという風に思ったのは学生時代の経験からだろう。 だがそんな前向きな考えは学生時代と共に変化することになる。会社に入社してからの理不尽に浴びせられる罵倒、先輩や上司のずる賢く責任を転嫁する姿。そういった姿を見る、あるいはその被害者になるたびに僕の健全な心は薄汚れていった。 もちろんはじめは学生時代の頃にもっていた前向きさで、積極的に色々な問題に関わっていった。だけどそういった僕の姿は会社の人からは鬱陶しいと思われていたようだ。 自分たちとは異なる存在は排除される。出る杭は打たれる。これも世の中では常識的な問題である。薄汚れた会社の中では、昔の僕は異常な存在だったようだ。 どちらが正しいかなど今はどうでもよい。重要なのはどちらが多数意見になるかである。その点においては比べるまでもなく、僕は少数派であった。 そんな僕はあっという間に会社で疎まれる存在になった。上司からは無理難題の数字課題を言い渡され、毎日遅くまでの残業を余儀なくされた。周りは比較的早くに仕事が終わっていたが、僕のことなど見えないかのように何も言わずに帰っていた。
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