第1章 放蕩息子

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第1章 放蕩息子

 それは自然でありながら、花よりもなお複雑で、宝石の表面よりは柔らかな曲線によって構成されていた。柔らかな前髪の掛かる長い睫毛、切れ長の目。すらりと通った鼻筋、淡く血色を帯びた小さな唇、上品に尖った顎。肌は陶器のように白く、頬は未熟な果実のように引き締まって仄かに青い。それは寒い土地に生った果実で、冷たい雪の結晶で、凍った一小節の音楽だった。 (これが男だっつうんだからなあ--、)  公太は、珍しい蝶々を捕まえるがごとく、半ば強引に捕らえて下宿までさせている、モデルの青年の日下真一郎の顔をつくづくと見た。窓からは初夏の風が吹き込んでいたが、真一郎はこちらから声をかけなければ、身動き一つせず汗も見せない。ただその素晴らしい「外観」を曝すことだけに徹している。 (敵わねえもんがいるってこった)  と、公太は内心密かに舌打ちした。  別にこの素晴らしい美青年に気圧されたわけではない。公太にとって真一郎はただの蒐集品に過ぎない。  この恐れ知らずの、何でも思うがままにしてきた裕福な青年が、日下真一郎という、自然にそう生まれたらしい美青年の顔に対峙した時、初めてこの世に己の征服できない領域があるのを感じた。  公太はこの青年に対して、この世に自分の他にも神がいることを感じさせる点のみが気に入らなかった。その他、この貴重な宝石に不満を持つとしたら、命じても笑わないことぐらいだった。  しかし、その怜悧な美貌に、造形の弛緩ともいうべき笑顔は余り似合わなさそうだった。さらに言えば、真一郎が笑うことを拒んで眉を顰める、その一瞬の翳りこそ、公太がキャンバスに描いて留めたいと思うような美しい幻だった。  公太は決して上手くない筆を持ち、この世の何にも似ることのない細緻な自然を描くことに悩まされた。その一方で、その美しさが翳りによって完成するのを見て以来、「この顔を作った主は、彼を幾らか不幸にすることを計算に入れていたはずだ」とも感じた。  それから、彼を多少苦しめるのを、優れた審美眼を持つ自分の良い趣味であり、また責務のように感じた。 「日下、おい、」  と、公太は自分の同級の友達を呼ぶのと同じように、この下宿人を呼んだ。実際には真一郎の方が少し年上だったのだが、初めから金で雇ったためにむしろ公太の方が彼にぞんざいな口を利いた。 「ちょっとこっち向け、」
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