月曜日のはじまり

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 良子は嘔吐した。どうにか定刻に間に合わせるために、便器を抱える時間も、ビニール袋を探す時間も惜しみ、車に乗ったのだが、もう限界だった。最初の赤信号で停まったときに、運転席の扉を開いて思いきり吐いた。それからあと四つの信号待ちで化粧を完成させた。  そしてある駐車場までたどり着くと、良子は車を降りた。彼女はそこで受付係をしている。今日は客が一人も来ないといいと良子は願った。  駅前に三つしかないパーキングなので、それは叶わない。重ねて今日は月曜日だ。月極で利用している遠距離通勤者が五時から五時十分の間にやってくる。ほら、来た。 「おはよう」  プリウスの窓から背広の中年男性が顔を出し、良子に形ばかりの挨拶をする。これは、合図と確認だ。 「おはようございます」  良子が手元のスイッチを操作すると、ゲートが開き、窓は閉じられる。駐車を終え、ビジネス鞄を持って出ていくときには、男は何も言わない。  普段の良子なら、その背中をぼんやりと眺め、駅の構内に吸い込まれていくまで見送ってから、鞄の中からタブレットを取り出し、作業机の上に出していた。通勤時間のラッシュが過ぎたら、予め前日の晩にダウンロードしてきた映画を再生する。  しかし今日は、ゲートを開けて、また閉じる操作をしたらすぐに、良子は上司も同僚もいない一畳ほどの広さもないこのオフィスを出て、手近な灌木の陰に隠れ、地面に向かって吐いた。  冬の朝のことだったので、まだ辺りは薄暗く、小屋の前を徒歩で通り過ぎていった男には、その現場を目撃されずに済んだ。えづく音くらいは聞こえていたかもしれないが、姿が見えないからといって、まさか若く美しい女性がカエルのように這い蹲って吐いているとは思わないだろう。  駐車場の受付係には似合わない良子の美貌に、初めての利用客が驚いたことは一度や二度ではなかった。彼らは一様にこう思ったことだろう。 「他にいくらでも行くところがあるだろうに、なぜ、こんな美人がほったて小屋に殆ど一日中座っているだけのような仕事に?」
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