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※ ※ ※
―――― 簫の西域は険しい山林に囲まれており、麓に暮らす住人すら迷うことがあるという。敵国との国境付近に道らしき道も無く、残っていたとしてもそれはこの辺りの獣道のように狭い悪路である。おまけに先頃続いた長雨の影響でぬかるみ、およそ通行できるような場所ではなかった。
そんな闇夜の山林を颯爽と駆け抜ける白馬と、追いかける二騎の蹄の音が響く。
「止まれ! 止まらねば弓を射る!」
しかし白馬は少しも減速しない。声をかけたのは追手のうち家臣の男、李 天佑だ。依然として追走劇が続くので先を行く主人の身も案じ始めた。
「王爺! この先は崖です! 奴は捨て身なのでは!」
「この黄 宇軒が崖ごときに怯み密偵を逃してどうする! 天佑、射るがよい!」
「は!」
天佑は直ちに馬腹を両脚で強く挟み、走る馬上に背を正して背中の筒から抜いた矢を弓にあわせた。そしてギリギリと弓を引き、白馬を操りながらわずかに振り向いた黒装束の背中に焦点を定め放った。風を切る音がして刹那、相手は身をかがめてそれを避ける。
「申し訳ありません!」
「よい! 私が行く!」
言うなり宇軒は馬に檄を飛ばし鞭打って加速した。じわじわと白馬の左手に距離を詰め、「この先は崖だ! 投降すれば命は保証してやるぞ!」と叫んだが、これにも応じないばかりか、突然脚をふりまわして闇雲に蹴り始めるではないか。ところが非力なのかひと蹴りする度に猛進している馬が右に左に蛇行しており危なっかしい。
これは一体どういうことだ。
宇軒は訝しく思った。翻る黒いマントの隙間に見え隠れする腕のか細いこと。そして月明かりに照らされ目があった時、顔まで覆う頭巾の隙間から見えた黒い瞳の艶やかさ。宇軒が半ば確信めいて腕を伸ばしたその瞬間――――
「……危ない!」
天佑はそう言うなりまるで猿のように身軽に騎乗から宙に跳び上がり両手で握った刀剣を頭上に振りかぶっていた。宇軒は目を見開いた。
「やめよ!」――――――――
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