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とは言えど、今のところ甲斐は、ハヤトに部屋の話を切り出すつもりはなかった。どうせ言ったところで断られるのは目に見えているのだ。もう少し様子を見ながら話した方が良いだろうと、そう思っている。
ちょうど頼んだ仕事を終えたハヤトが戻り、部屋の一角にある執務スペースへと歩いていく。ただそれだけでも優雅な足取りに、甲斐はこっそりと見惚れていた。
と、不意にハヤトが顔を上げて甲斐を見る。ばっちりと目が合ってしまった甲斐は視線を逸らす事も叶わずたっぷり数秒間見つめ合ってしまった。
段々、顔が熱くなるのを自覚して、声を出せば案の定引き攣ってしまう。
「なっ、何か…あったのか?」
「それはこちらの台詞だろう? 仕事も上の空で何を考えてる」
他の秘書からマンションの契約書を受け取っている事は気付かれていないだろうと思うものの、案外ハヤトは鋭い。ただ以前は、口を出すべきこととそうでない事を弁えていたから安心していた甲斐だが、今のハヤトならバレたら確実に突っ込んでくるだろうとそう思う。
同一人物である以上能力は変わらないはずだが、謙遜がない分ハヤトの方が仕事上は以前よりも有能にさえ思えてくるのだ。甲斐は、些か強引に話題を変えた。
「アンソニーとジェームズはどうだ?」
「採寸は済んだ。それから、本人から語学学校へ通いたいという希望があるとの報告は受けている」
「ほう」
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