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「井原くんは恋をしたことはあるだろう。いまも、途ならぬ恋に溺れてそうな眼をしている」 いきなり義兄さんに話を振られた井原さんは、飲んでいたお茶を吹きかけた。可哀想に、真っ赤な顔で咳き込んでいる 「手が後ろへ回りそうな編集者を家へ上げるな」 九鬼さんが冷たく言い放つ 「いや、今回はその途ならぬ恋が役に立つ。茶屋で芸者や役者、男芸者の幇間と遊ぶのを好んでいた男が花魁道中を見かけ、大見世の太夫に恋をする。身請けを望むがあっさり、袖にされてしまう。暖簾を持つ中年男が若い遊び女に夢中になるのはみっともない。そう陰口を叩かれる前に吉原から遠ざかり、男は仕事に精を出し始める」 物語の主人公は大店の旦那。一度結婚して、子どもを成したが離縁。跡取り息子がいることに安堵し、店は店員に任せ、方々で遊び回っていた男の精神の変化を描く話らしい 「いまこうして、仕事に打ち込む間にも太夫は見知らぬ男の腕の中。そう考えると、悔しさに身が焦げ付きそうになり、また吉原へ足を運びだした。金の苦労をしたことなく、嫁に執着を見せず離縁した男のした初めての恋を番頭たちは心配する。店を潰す溺れ方をしなければいいがと」 井原さんの頬が紅潮してる。この人は、義兄さんを尊敬してるから、どんな話にも感動しそうだからいいとして。ぼくが気になるのは、九鬼さんだ。血管の浮くまで拳を握り、その拳を隠すように腕を組み、揺れる瞳をも目蓋を落とし見えなくしてしまった
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