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ふわりと鼻腔を擽る柑橘の爽やかな香りが、取り留めもなく過去に沈んでいた意識を現実に引き戻す。
「いつまでぼさっと突っ立ってんだよ。薫も座って蜜柑食えば?」
剥いた蜜柑の皮を花のように広げ、長い指先でひと房抓んでは口に放りながら寛ぐ朔耶の姿。皮を剥いた際に弾けた汁が、香気を漂わせていたようだ。
「……ねえ、なんで炬燵なんだよ。てか、なに勝手に模様替えしてんのさ」
文句を言いつつ、朔耶と向かい合う位置に座って炬燵に足を差し込めば、冷えた爪先がじんわりと温められていく。
「冬といったら炬燵で蜜柑だろ? たまにはいいじゃんか。すぐに片付けられるんだしさ」
ふたつめの蜜柑の皮を剥きながら、薫の文句など意に介した様子もなく笑う朔耶に、どうしたって敵わないのだ。口でも行動でも。
溜息をひとつ零して、篭に盛られた蜜柑をひとつ手にする。
小さく千切れては、ボロボロと薫の指先から零れ落ちる皮。なぜか昔から上手く剥けた試しがない。
小袋の薄い皮を抉ってしまった瞬間、手の中から蜜柑が姿を消した。
「相変わらず下手だなぁ。ほら、こっち食ってろ」
苦笑する朔耶の手の中に、ボロボロに傷ついた蜜柑の姿。目の前に置かれた綺麗に剥かれたそれと同じものには見えない。
いつも上手く剥けなくてべそをかく薫に、自分の剥いた蜜柑を差し出してくれた。
懐かしく思いながら、遠慮なく剥かれた蜜柑を口にする。程よい甘さと酸味が口の中いっぱいに広がった。
「美味しい……。ありがとう」
「だろ? 足元はぽっかぽかだし、蜜柑は美味いし。最高の組み合わせだな」
ボロボロだった蜜柑を器用に剥いて口に入れながら、満足そうに笑う朔耶の笑顔が眩くて直視できない。
軽く俯いて長い前髪で視界を遮り、手元の小房をばらしては口に運ぶ。速くなる鼓動を抑えるように、平常心、平常心と呪文のように心の中で繰り返した。
近くに越してきた朔耶と接触が増えた所為か、奥底に封印したはずの想いが急激に膨らんでは溢れそうになる。
その度に頬の内側を噛み締めて抑え込むのが、段々苦しくなり始めていた。
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