ロマンスは炬燵から始まる

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「なあ、薫。もういいだろ?」  無言で蜜柑を食べ続ける薫の、顎を隠すほど長くなった前髪に、向かいから朔耶の指先が伸ばされた。  柑橘の香りを纏った指先が髪を耳にかけて、現れた頬に掌を触れあわせると、もう一方の手がメガネをそっと外した。 「えっ……ちょっと。メガネ返してよ」  クリアになった視界が落ち着かなくて、取り返そうと手を伸ばした。その指先がメガネを捉える前に、朔耶の手が後ろにメガネを放り投げる。朔耶の背後からカシャンとという乾いた音が聴こえた。 「必要ないだろ? 伊達メガネなのはわかってるんだ」 「なんで……」  唖然(あぜん)とする薫の頬に触れたままの指先が、優しく涙袋をなぞっていく。  目元に触れられて、反射的に目を閉じた。  ふわりと空気の動きを感じてゆっくりと瞼をあげれば、視界いっぱいに広がる朔耶の顔に、落ち着けたはずの鼓動が跳ね上がる。  蜜柑の香りの中に混じる、朔耶の纏う香水の匂い。 「なんでって、薫のことをずっと見てきたんだから当然じゃないか」  そういう言い方はやめて欲しいと思う。――都合の良いように解釈したくなるから。 「で、出来の悪い弟分だもんね。でも、そんなに気にかけてもらわなくて大丈夫だよ。おれももう子供じゃないし……」  真っ直ぐに射貫く朔耶の視線から逃れるように、目を伏せる。本当は顔ごと俯きたかったけれど、頬に触れたままの手がそれを許してはくれなかった。 「弟分だなんて思ったことは無いよ。――本気で言ってるなら怒るよ?」 「じゃ……じゃあ、幼馴染だから?」  心の奥底まで暴かれるのではないかと思うような鋭い視線に声が詰まる。 「幼馴染だからでもないよ。本当にわからない?」 「な、何の……」 「薫がここまで顔を隠すように前髪を伸ばし始めたり、俺の顔を真っ直ぐ見なくなったり避けるようになったのは、高2の夏に松田に何か言われたからだろ?」 ――松田……? ああ、彼女の名前だ。  思い出した途端、あのときの言葉までもが脳裏に(よみがえ)って胸が苦しくなる。  朔耶の言いたいことがわからなくて視線から逃れたいと思うのに、真剣な眼差しに引き寄せられるように身動きが取れなかった。
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