さくらくも

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 昼休みに、図書室のすみっこで本の装丁を手伝っている幼馴染にそのことを話すと、桜雲は確かにあると言う。なんでも、『はなづくし』という日本各地の花の名所や珍しい草花について、詳しい説明と成り立ちが記載されている本があるそうだが、彼女はそれで桜雲に関する記述を見たそうだ。曰く、その由来は後遅松天皇の母である清明院陳子が、吉野御幸に同行した際、大雨によって急遽行き先を変更し雨量の少なかった香雲山の麓に赴くことになったそうだが、山の頂を覆う桜の花のあまりの美しさに心奪われその風景を歌に詠じたのだと。それが「桜雲」という言葉の起源であり、以来香雲山は隠れた桜の名所となった。来歴を語り終えると、彼女は岩波の古典文学大系の中から和歌集を引っ張り出し、清明院陳子の頁をめくると机に広げほれと見せてきた。  風さそう ゆくえは知らで さくらくも 雨はなふりそ 香雲山の空  大判の和歌集を閉じると、ぱたりと大きな音がした。幼馴染は能の孫次郎のように白く透き通ったおもてに含み笑いをたたえると徐に口を開き、香雲山はここからそう遠くないどころか電車とバスを上手く乗り継げば一時間もかからない場所にあるから良い機会だし一緒に行ってみないかい花盛りの再来週の木曜日にでも、と誘ってきた。僕はかすかに首を縦に振って口の中でいいよと独りごちた。     
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