さくらくも

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 最寄駅の改札前に九時三十分。どこへ行くにもその時間、その場所で、特に示し合せずとも必ず互いの姿を見つけられる。僕はいつも幼馴染に付いて行くだけだ。どこまで行くのか知らないし、どうやって行くのかも知らない。ただ黙って付いて行くのである。段々と昇ってくる春の陽が車窓から斜に僕らを照らす。幼馴染の眩しさか恨めしさか、薄目に車外の空を眇めている。彼女は光を嫌っていた。桜雲はその言葉の起源からしても曇りの日に見るのが一番なのだけれど、と幼馴染は僕に言い聞かせるでもなく呟いた。それから黙然としていると、電車の揺れにうつつの足元をさらわれて夢の谷へと落ち込んだ。桜の雲に攫われて、幼馴染が神隠しよろしく僕の目の前から消え去ってしまう夢だった。目を覚ましたとき、僕は彼女の手を握っていた。既に目的の駅に着いていた。彼女は、いつもは表情の乏しい顔に不審の色をいっぱいに浮かべながら、黙って僕の汗の滲んだ手を握り 返してくれていた。  バスは二時間に一本しかなかったが、電車を降りてからものの数分でやってきた。僕らの他に乗客はいなかった。まだ手は握られていた。お互いの存在を確かめるように、固く握られていた。言葉は交わさなかった。ガラス越しには、花盛りの桜は見付からなかった。悪路に揺れる車内にものの十五分ほど座っていると、まだ到着しない内に幼馴染が気分が悪くなったと訴えてきた。降りて歩いて行こうか、と申し出ると彼女は青い顔で笑って、そうしてもらえると助かる、と答えた。目的地まで、停留所はあと三つだから、歩けない距離ではない。僕は二人分の運賃を支払口に入れると、幼馴染の腕を支えて車外へ降りた。少し歩くと、彼女の顔色はみるみる明るくなった。元々色白で血の巡りがすぐに顔へ映るから、気分が悪い時はすぐ蒼白になって恢復すると元のつやのある白になる。僕は歩くのが遅い彼女に合わせて、狭くした歩幅を緩やかに漫然と進めた。なんだかじれったそ うだね、ごめんね、と彼女はさして申し訳なさそうでもなく、むしろ楽しげに謝ってきた。僕は笑って、取り合わなかった。     
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