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「──?」
意味が分からない。この一か月で別れたということだろうか。まさか、あの日のことを奥さんに知られてしまった?
自分の母親の顔が浮かんだ。同じことをしてしまったんだろうか。長谷さんの家庭を壊した──?
「今は──じゃねえな、もう何年も一人」
「嘘いわないで」変な同情はいらない。研さんが何をしたいのか分からない。嘘をついてまで、なぐさめてほしくない。「ちゃんと知ってます。お子さん、中一だって──」
研さんは小さくうめいた。
「あいつが言ったのか?」
「そう言ってたって聞きました」
また涙がこぼれた。
「あいつ、まだそんなことを──」
研さんの眉間にしわが寄っていた。表情が強張っている。研さんは、ため息をついた。
「まあね、十三歳になってたはずだよ」
胸がずきんとした。長谷さんは、どう見ても三十代半ばにしか見えない。ということは、ずいぶん若い時に生まれたんだ、と思う。
「奥さんの名前も教えるよ」
「聞きたくありません」
「いいから、聞いて」耳をふさごうとした理香の手を、研さんがつかまえた。「名前はね、長谷花穂子。字はね、花に稲穂の穂」
「やめて──」
「大人しくて、優しくて、笑うとかわいかった。子どもは、あかねって言ってみんなに可愛がられてて──」
「やめて!」
理香は、研さんの言葉に被せるように大きな声を出した。聞きたくない。手を振りほどこうとするけれど、研さんは離してくれない。
「いいから、聞いて。理香ちゃんには知っててほしい」
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