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男の人が、こんな風に涙をこぼすのを初めて見た。静かな口調が悲しかった。
「あなたのことは──」
長谷さんは言葉をさがすように、ぽつぽつと口にした。
「僕は、たぶん会った時から、あなたに惹かれていた。でも、なかなか気持ちの整理がつけられなかった。妻のことも、あなたのことも、どっちも裏切っているような気がして」
「長谷さん──」
「でも、あの夜、あなたが駅の階段を追いかけてきてくれた時、前を向こうと思ったんです。もういない家族に、さよならを言おうと」
理香は、おそるおそる手を伸ばし、長谷さんの髪に触れた。長谷さんが顔を上げる。至近距離で目が合った。
「さよならなんて言わなくていいです。ずっと抱きしめていてあげて──」
理香は、言い聞かせるように口にした。一歩近づいて、長谷さんの身体にそっと腕を回した。こうして触れ合うのは二回目だ。でも、前よりもずっと近くにいるような気がした。
「わたしは、いなくなったりしません」
「え?」
「そばにいていいって言ってください。そしたら、ずっと一緒にいます。絶対、長谷さんを置いていなくなったりしません。だから──」
最後は泣き声になってしまった。
長谷さんが何か言った。よく聞こえなくて聞き直したら腕をつかまれた。優しく、でも強い力で抱きしめられる。同時に、耳もとに唇が触れた。
「そばにいて──」
ささやくような声が、今度はちゃんと耳に届いた。
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