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後片付けは、研さんが手伝ってくれた。いつもの手順で窓の鍵を確かめ、電気を消して会議室のドアに施錠する。
閉館間際の区民センターのしんとした廊下を抜け、人気のない階段を研さんと並んで下りた。踊り場のあたりで視線を感じて隣をうかがうと、笑いを含んだ顔でこっちを見ていた。
「どうかしました?」
「いや。長谷とうまくいってるみたいだな、と思ってさ。さっき、沙彩が騒いでた」
理香は、思わず頬に手を当てた。一体どこまで話が広がっているんだろう。
「なんか、安心した」
研さんがぽそっと言った。飾り気のない言葉が心に沁みた。研さんは研さんで複雑な思いがあるだろうと思う。でも、研さんは、自分のことは全部後回しにして、長谷さんのことだけではなく、たぶん、理香のことも気にかけてくれていた。
「いろいろとありがとうございました」
「オレは、何にもしてないよ」
「ううん。長谷さんとのこともですけど、わたしのこと、今だけじゃなくて、ずっと前から心配してくれていたでしょう?」
研さんが「や、いや、まあ、うん」とつぶやき、前よりも小さくなったアフロに手を当てた。照れているらしい。
「まあ、そうかもな。理香ちゃんは妹みたいなもんだから」
──帰省しなかったのか? どっか出かけたか? 寂しくしてなかったか?
ゴールデンウィークも、お盆も、年末年始も、長い休みのあとには必ず声をかけてくれた。
研さんの妹は、もういない。花穂子さんが実家に帰って来ることは二度とないし、会うことすらできない。
今さらどうしようもないことに対していつまでも意固地になって、かといって正面から話をするでもなく、ただ両親を避け続けているだけの自分を情けなく感じた。
「本当の妹だったら、もっとどっか連れて行ってやったり、ゆっくり話を聞いてやったりできたんだけどな」
「そうですね。お兄ちゃんって呼べたのに」
「懐かしいなあ、その響き」
研さんが、からっとした口調で言い、どちらからともなく笑った。
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