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──ごめん、今日、行けない。  電話を耳に当てた途端に、研さんの苦しげな声が飛び込んできた。いきなりの言葉にとまどい、理香は「どうしたんですか」と聞き返した。 ──たぶん、モウチョウ。 「え?」予期しない単語に、思わず大きな声が出た。「モウチョウ、ですか?」  うまく漢字に変換できずに戸惑っていると、電話の向こうでサイレンが鳴り出した。  どきっとするほど音が近い。ピーポーピーポーという耳慣れた音をバックに、録音された声が繰り返す。直進します、進路を開けてください、直進します。 「あの、研さん? 大丈夫ですか?」 ──今、救急車の中で──。  研さんは言いかけ、直後に野太いおたけびを上げた。のた打ち回るアフロヘアの大男の姿が浮かんだ。 ──ぎゃー、そこ、そこ、痛いっす。あだだだだだ。 ──血圧を測ります。動かないでください。  研さんの声にかぶせるようにして、男性の冷静な声が告げる。続いて、うめき声が聞こえた。  どうやら、電話の向こうでは大変な事態が進行しているらしい。 「モウチョウって、もしかして、盲腸ですか?」  研さんは「うん、うん」と何度も言った。よほど痛いのだろう、涙声になっている。 ──そっちに向かってたんだけど、ダメになった。今日、無理──っていうか、ごめん、当分無理かも──。 「そんなのいいです」理香は大急ぎで口にした。「心配しないでください。大丈夫です、こっちはどうにでもなりますから」  理香の言葉を聞いているのかいないのか、研さんは「本当にごめん」と繰り返した。 ──代理を頼んだから。『急いで行け』って言ったから、すぐ着くはず──。 「代理?」と反射的に聞き返そうとして、とどまった。悠長に話している場合じゃない。「いいですから、こっちは大丈夫ですから、心配しないで」  研さんは「ごめん」と「ありがとう」を交互に繰り返した。そして最後に「うおぉ、いだだだ」という声を残して、電話が切れた。
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