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半分は照れ隠しのような笑いだが、もう半分は困惑。
史生が説明を求めているものを、説明する術を百々は持ち合わせなかった。
体感するものなのだ、神の力は。
色も形も、何かにたとえられるようなものではない。
しかも、おそらく。
「なんて言ったらいいかなあ・・・たぶん、私と大おばあちゃんでも、感じ方が違う気がするんだよね。」
決まった形がないものならば、それを受け止める器によってそれは形を変える。
曾祖母の一子は、一子としての器。
百々は、百々としての器。
力が「在る」ことは互いに感じても、感覚が共有できるものとは限らない。
「えっとね。今、本殿に手を合わせてお願いしてたんだよ。罔象女神様、これからお力をお貸しくださいって。そしたら、罔象女神様のお力が寄ってきてね、こう、ばーっとね!でもって、どーん!とね。」
「日本語でわかるようにしゃべって。」
百々の感覚的な擬音は、当然史生に伝わらない。
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