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番外編① 奈落に響くうた
深夜の市街地だ。こんな時間に、現金を持たない人間が姿を隠せるような場所など、駅前を南北に流れる水路沿いに設けられた緑道公園くらいのものだろう。笹内はそう踏んで、独自の呼吸を繰り返し、禹歩で進みゆく。
――無茶をしなければ良いけれど。
と、頭に浮かんでいるのは、もちろん、追っているかれ、のことではない。
夕どきにたっぷりと水を得たらしい紫陽花の茂みの隙間を通り、昼どきにはヤナギの緑陰が水面に映えて涼やかだろう、細い遊歩道に踏み込む。
左右を見渡し、物音ひとつしない静けさに、そっと背中のうぶ毛をそばだてた。
樹の剪定は定期的になされている筈だが、橋やモニュメント、花壇などの出っ張りのせいで、均されていない闇が各所にわだかまっている。
見晴らしが良すぎないのも、都市の休息所として建築家が計算し尽くした結果ではあるのだろうが、酔っ払いもいい加減に帰宅を済ませただろう丑三つ時、ひとひとりが身を潜められる濃い影は、笹内に密かな緊張を強いた。
もちろん、追う相手に余裕のない所は見せられない。す、と背を伸ばし、整い尽くした呼吸で、確かに闇のひとつひとつを視線で暴いていく。
不意の攻撃など、躱す自身はあった。
彼が心中、ほとんど自覚のないうちにいつも恐れているのは、そんなことではない。
果たして――
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