番外編① 奈落に響くうた

10/14
前へ
/90ページ
次へ
 この歌を彼女に教えたのは、笹内の知人の女性だった。  同業者ではない。古いならわしに従って、葬礼で泣き歌をささげることを生業としている外国の歌手だ。  香緒里が《屍食鬼の花嫁》となったいきさつ、今の体質のことを知った上で、彼女はこの歌を、口伝えに教えることにしたという。  ふらりと異界にさまよい、現世を忘れそうになる、若き《未亡人》に。  ――あなたの歌声が聴こえた時。近くにいれば「恋人」はきっと現れるでしょう。  だから、香緒里は歌う。泣くことを、歌に閉じ込めて。  彼を、呼ぶ。      吾がもとへ来たれ恋人よ      安らかに、忍びやかにぞ訪ひて      戸口より吾を攫ひゆけ  ――されど、それは残酷な約束事。  歌というものは、現世のからだあって初めて形の取れるもの。体の中の管、空気の通る空洞、そう結局のところ洞でしかないのに、洞をつくる肉を思い出さねばならない。  肉のうつわを思い描いた時、異界に迷えるたましいは、帰還する。  描かずには、歌い続けることができない。  ――最後までは歌えない仕掛けなのだ。  普通ならば、と、知人の言い方は保留付きではあったが。  だから、これはわかっていたことだ。香緒里は目を開ける。黒い瞳は茫洋と、やがて笹内をひたりと映し込む。  そうして歌は止んでしまう。もったいない、と、笹内は惜しむ。その手は片方、ロングカーディガンにしまわれている。
/90ページ

最初のコメントを投稿しよう!

13人が本棚に入れています
本棚に追加