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この歌を彼女に教えたのは、笹内の知人の女性だった。
同業者ではない。古いならわしに従って、葬礼で泣き歌をささげることを生業としている外国の歌手だ。
香緒里が《屍食鬼の花嫁》となったいきさつ、今の体質のことを知った上で、彼女はこの歌を、口伝えに教えることにしたという。
ふらりと異界にさまよい、現世を忘れそうになる、若き《未亡人》に。
――あなたの歌声が聴こえた時。近くにいれば「恋人」はきっと現れるでしょう。
だから、香緒里は歌う。泣くことを、歌に閉じ込めて。
彼を、呼ぶ。
吾がもとへ来たれ恋人よ
安らかに、忍びやかにぞ訪ひて
戸口より吾を攫ひゆけ
――されど、それは残酷な約束事。
歌というものは、現世のからだあって初めて形の取れるもの。体の中の管、空気の通る空洞、そう結局のところ洞でしかないのに、洞をつくる肉を思い出さねばならない。
肉のうつわを思い描いた時、異界に迷えるたましいは、帰還する。
描かずには、歌い続けることができない。
――最後までは歌えない仕掛けなのだ。
普通ならば、と、知人の言い方は保留付きではあったが。
だから、これはわかっていたことだ。香緒里は目を開ける。黒い瞳は茫洋と、やがて笹内をひたりと映し込む。
そうして歌は止んでしまう。もったいない、と、笹内は惜しむ。その手は片方、ロングカーディガンにしまわれている。
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