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自分の人生が劇的だと思ったことなんて、僕にはない。求めたことだってない。
そもそも人生における劇的性とはなんなのか。
不幸にまみれた人生のことだろうか。
幸福に満ちた人生のことだろうか。
いや、その程度で劇的だとは言えないだろう。
人生において大きくも小さくも不幸なことも幸福なこともあってそれを一々取り上げていたらキリがない。
だってそれは日常だ。
日常は普通だからこそ日常で、物語性がないからこそ日常なんだ。
大抵の人間は小説や漫画になるような日常を送らない。
そもそもそのような題材になるであろう出来事は日常ではなく、そんなことはそうそう起きやしないのだから。
なんでそんなことを突然言い出したのかと言えば、別に僕、寧々頭湊が物事を斜に構えているからではない。
僕は別にやれやれ系ではないので、そういうこと思い浮かべてあらゆることを諦めたりしたりはしていない。
ならばなんで何故どうしてそういうことを言い出したのかというと、つまるところそういう題材の質問提起をされたからにすぎない。
問われたからこそ考えてみたにすぎない。
その程度の理由でしかない。
それくらいの事実でしかない。
高校生になったばかりの春。
つまり高校一年生の四月。
新たなる門出に少なからず胸を躍らせた高校生活初日のつまり入学式の日帰り。
僕にそれを尋ねた先輩がいた。
彼女との出会いが劇的かと問われても、僕は首を横に振るだろう。
だって春といえば出会いの季節だ。
新しい出会いがあって当然だ。
例えそれが美少女であったとしても。
ちょっとそれはどうなのかと疑問を抱きたくなるような奇抜さであっても。
出会い頭に厨二病みたいな質問を投げかけられても。
僕はそれを劇的とは言わない。
だって僕はどこにでもいる平凡な男子高校生になったばかりなんだから。
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