0人が本棚に入れています
本棚に追加
アラビア海は青いというより、黒かった。潮の香りもそれほど強くない。波は穏やかだ。ゆったり浮かぶには安全で、サーフィンには向かないだろう。浜辺の砂はとても細かくて、柔らかな感触がする。ここまでついて来てしまったジャッキーは、早速、砂を蹴散らしながら駆け回っている。
「大丈夫かな、ジャッキー。敷地の外に出ちゃって」
「何言ってんの、ここも敷地内だよ」
あずさが砂浜にあった看板を示す。わたしたちが泊まっている施設の名前と、プライベートビーチという文言が見える。
「これも、敷地」
思わず呟いてしまう。リゾート慣れしていないわたしには途方もないことだった。目の前にある海が、所有されている。そして少しの間だけ、わたしもこの海を手に入れているのだ。あずさはいつの間にか砂の上に寝転がっている。
「あー、ぼうっとするの久しぶりだー」
間延びした声であずさが言った。わたしもその隣に寝転がる。すると、駆け回っていたジャッキーがわたしとあずさの間に身を横たえた。
「随分と気に入られたねえ、那実」
「何でだろうね」
わたしは腕を伸ばしてジャッキーの頭を撫でる。
「犬が好きだって、わかるんだよ」
「……うん」
「本当はさ、あらかじめ知ってたんだ。犬が沢山いる場所だって」
あずさは珍しく自信がなさそうに言った。
「もし、那実が余計に哀しい気持ちになってるなら、ごめん」
「大丈夫、だよ」
思ったより大丈夫。そう思っていた。ジャッキーがごろんとお腹を見せる。
「この子、コロと一緒なんだよ。すぐにお腹見せちゃって……」
後の言葉がどうしても続かなかった。ジャッキーが不思議そうにわたしの顔を見ている。コロとジャッキーは見た目が全然似ていない。でも、ジャッキーの仕草に、コロの面影が勝手に見えてしまうのだ。
「泣いて、あげられなかった」
わたしは、しゃっくりを上げながら話す。
「あんまりにも哀しくて、コロの前で、泣けなかった」
母も、テレビ電話の向こうの父も泣いていたのに、わたし一人だけが涙を流せなかった。それがひどく薄情な気がして、ずっとわたしを苦しめていた。
「ごめんね、コロ、ごめん」
途切れ途切れの言葉を、あずさも、ジャッキーも黙って聞いてくれた。
最初のコメントを投稿しよう!