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4 ハイエナ
事務所の呼び鈴が鳴り、ボクは扉を開けた。午後8時ちょうど、仕事を切り上げ、上階の自宅に戻ろうと思ったところだった。
扉の前に立っていたのは江利子だ。
「どうしたの?」
江利子は、押し黙っている。
「まあいいや……。あがって……」
促された江利子は、下駄箱を開け、中から浅黄色のスリッパを取り出した。和久井の生前、手の足りない時に何度か救援を頼んだ経験から、この事務所の勝手を知っているのだ。
「どうだ、少しは落ち着いたか?」
ボクは2人分のお茶を煎れ、猫舌の江利子の湯呑みに氷を一つ入れた。
中有が満ちる前に、かつての恋人のところに一人で現れるとは、ずいぶん大胆な行動だ。
「相談したいことが、あるんだけど……」
江利子は目を伏せ、肩を落とす。
「なに?」
「あの人の、お父さんとお母さんのことなんだけど……」
「うん……」
確かに、告別式での様子が気になっていた。
「私のことを、疑っているみたいなの……」
「何で?」
「目の前を走っていたのに、助けられなかったからだと思う……」
和久井が、路面に車輪をとられたのは偶然だ。それで江利子の責任を問うとは、可哀想な言いがかりだ。
「あと……」
「あと?」
「生命保険に入ってたから……」
「生命保険って……。家庭を持ったんだから、生保ぐらい入るだろ?」
「でも保険金の金額が……」
面倒くさい話になりそうだ。
「金額が?」
「1億円……」
「1億?! それはまた、ずいぶんと高額だな……」
「だから、口には出さないんだけど、何だか疑われているみたいで……」
「あぁ……」
確かに1億円の保険金ともなれば、なかなかの保険料になってしまい、あらぬ疑いを招きかねない。
「あのひと、いつも会社のことを気にしていたの……。自分に万が一のことがあっても、『レゾンデートル』が続けられるようにって。この会社は、まさに自分のレゾンデートルだからって……」
幸い、今のところ財務状況は安定している。もし、申し出があっても資金援助を受けるつもりはない。でも、高額保険金以上に、重たい荷物を背負わされてしまったようだ。
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