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 マンションに戻ったボクは、ネクタイを緩め、水道のコックを捻った。浄水が勢い良く流れ出す。洗いカゴからコップを一つ取り出し、なみなみと注いだ水を、一気にノドに流し込んだ。  お清めで、ビールを飲み過ぎた。和久井の近況を知るボクに、和久井の親戚が、入れ替わり立ち替わりビールを注ぎにきたからだ。もともとボクは、勧められると断れないタイプ。あっという間に許容量を越えてしまった。 「ちきしょう……。いったい何を考えてるんだ……」  思わず苛立ちが口に出る。  それにしても、和久井家と江利子の態度が解せなかった。望月家との関係も、妙によそよそしく感じた。会話をしなければならなくなると、いちいち他人のボクを媒介しようとするのだ。骨上げの時の、おかしな態度も、このへんに起因するのかも知れない。  うん?  居間から話し声が聞こえてきた。急激に酔いが醒める。そっと扉を開け、中をのぞいてみた。  何だ、テレビか……。でも、何で点いているんだ?  刑事ドラマが放映されている。崖の上の刑事が、得意の推理で犯人を追いつめていくシーンだ。  あれ……。そういえば、シミは?  くっきり浮かんでいたはずの壁のシミが、キレイさっぱり消えている。  テレビの隣にあるサイドボードの上に、写真立てが置いてあった。写真には、起業した当時のボクと和久井が写っている。二人は肩を組み、会社のロゴが入ったタオルを首に掛けていた。  会社の名前は『レゾンデートル』、フランス語で存在価値という意味だ。『レゾンデートル』は、和久井の口癖で、意味も響きも気に入っていたので、そのまま社名にしたのだ。 『鎌田……』  小さな囁きが、ボクの鼓膜を震わせた。  おいおいマジが……。間違いなく和久井の声だ。真後ろに気配を感じる。 『オレを見ちゃだめだぞ! 気持ち悪いからな! 何しろ、息を引き取った時の姿だから……』  頼まれたとしても、振り向くつもりはない。酔いのせいで、幻聴が聞こえるだけだ。  和久井がいないことで、たくさんの不都合が生じている。何しろ、新規事業の無人島計画が、頓挫してしまう可能性があるのだ。正式契約はまだだが、計画が頓挫すると、数百万単位の損失が生じてしまう。そのプレッシャーたるや、生半可なものではない。だから、死んでしまった和久井の声が聞こえるのだ。
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