1人が本棚に入れています
本棚に追加
それゆえに今は油断を誘う。そんな派手な行動をしても不審がられないほどの油断を。
そして、時は来た。
「ただいまー」
なにも知らない能天気な父の声。
「なんか玄関に蜜柑あったけど?」
「それ幸也の友達が持ってきてくれたの。ねぇ、あなた、一つ剥いて私にあーんしてくれないー?」
清々しいまでの猫なで声。これに嬉々と応じる父も父だ。しかし、ここが勝負。
父は立ったままテーブルとこたつの間で蜜柑を剥き始める。
届く、父の席から。片足をこたつに残しつつ、あの蜜柑を拐える距離!
潜水……!
こたつの熱気の中へ。
そして急速で出る!父の目の前、蜜柑との距離僅か1メートル強!体を立たせ、右腕を伸ばし、そして───。
何かが俺の足を蹴り飛ばした。
「あ」
気づいたときにはもう遅い。
こたつ内に唯一残した軸足を払われ、無様に転倒した俺は、その身まるごと、こたつからはみ出していた。
やられた。やつに。
やつは読んでいた、ここまで。全てを。
「おいおい幸也、大丈夫か?しかしお前の友達もなんというか。わざわざあんなにうちに余ってる蜜柑を持ってこなくてもなぁ」
その時、再び俺の背筋に悪寒が走った。
余ってる?なにが?蜜柑が?余ってるだと……!?
「テーブルの上に出したのは箱の中からほんの数個だけよ。だって箱ごとじゃさすがに見栄え悪いじゃない」
やつがいけしゃあしゃあとのたまう。
「じ、じゃあ父さん、蜜柑買ってないの……?」
「はあ?買うわけないだろ、あんなに余ってるのに」
完敗だ。すべてやつの手のひらの上。
俺が黒田に蜜柑を持ってこさせ、家に入れない黒田が蜜柑を置いていき、父がそれを取り、俺がそれを強奪しようとするところまで。
すべてやつのシナリオ通り。
完敗だ。
俺はこの日自身が一生かかっても母には勝てないことを悟った。
しかし、明くる年のバーゲンの時、俺は思い知らされた。俺との勝負はやつにとってほんのお遊びでしか無かったことを。
ああ、なんとも
母は強し。
最初のコメントを投稿しよう!