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――らふぁ:挨拶まだしてないの?
――マナ:いつ行っても留守にしてるんだ
そこまで打つと、ふと玄関の向こうで物音がした。俺は顔を玄関に向けて、耳をそばだてる。
都心へは電車で二十分。最寄駅から徒歩十五分。それほど栄えた土地ではないから家賃はまあまあ。ビビるほどデカくもなく、引くほどオンボロでもない四階建てのアパート。一階二部屋の二階に引っ越して以来、隣人というか、正確にはお向かいさんともいうべき相手とは一度も会えていない。
社会人のマナーだろうと用意した乾麺のそばを片手に、今日こそなかなか姿を見せない隣人の顔を拝んでやろうと玄関からそっと覗いた。
ちょうど帰宅したところのようで、お洒落な店で買ったような茶色い紙袋を床に置き、ズボンのポケットを探っている。海外雑誌から飛び出したようなその後ろ姿に、俺は思わずあっと声を上げた。その声に彼はぴくりと動きを止めて、こちらを向く。
「ああ、君か」
神様が丁寧に作った顔で、万人を魅了するような爽やかな笑顔を俺に向けた。
「お隣さんは君だったんだね」
その瞬間、自分の悪癖が顔を出すのを感じた。
まるでこの世から酸素がどんどんなくなっていくような錯覚が頭の中を占めていく。息苦しい。呼吸できない。目の前がぐるぐる回り始める。
「あ、ああ……あの」
咄嗟に視線を泳がせながら、ドアの隙間から持っていた乾麺を差し出す。その間にもどんどん体温が上がって、嫌な汗が滝のように背中に流れていく。
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