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「昨日砂糖を二本も入れていただろう。君の部屋にはコーヒーがないから、特に好んでいるわけではないようだし、あの店にはミルクもあるよ」
「いや、じゃなくて」
俺がようやくまともな言葉を発すると、男はその眼をこちらに向けた。それだけで逃げ出したい衝動に駆られて、じりじりと後ずさる。残念ながら部屋はそんなに広くないので、背後のパソコンデスクがそれ以上の後退を阻んだ。
「なんで、その、ここにいるんですか」
「なんで?」
「ここ、俺の部屋……かなって」
寝ながら隣の部屋に行ったなんてありえない。部屋の中はどう見ても自分の物で溢れている。でも自然な顔をしてコーヒーを飲む男を見ていると、自分が間違っているのでは、という気持ちになってくるから不思議だ。
「僕はコーヒーを飲むのは好きだ」
「……だから」
「君もどうかなって」
「え、いや、だって鍵」
「前回から替えていないんだ。大家の職務怠慢と言えるけれど、そもそも君は「隣人協定」に承諾したからこの部屋を借りたんだろう?」
「隣人……は?」
すらすらと出てくる言葉に俺はただぽかんとして、ようやく耳に入ってきた聞き覚えのない単語に首を捻った。しかし、すぐに最近の記憶がよぎる。
(やられた……)
確かにこの部屋はこのアパートの中でも格安の設定だった。事件か幽霊でも出るのかと不動産屋に聞いても「いいえ、まだ」という不穏な返答で、大家さんには「鍵はしっかりね」とチェーンと南京錠を渡された。
(イカれた隣人対策なんて誰が気づくんだよ)
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