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第一章
それはひどく穏やかな午後だった。
右も左も分からない土地に来て早一週間。期待と緊張を胸に、初めて踏み入れた、こじんまりとした喫茶店。
平素からそうなのか他に客一人もいない。がらんとした店の一番隅っこに腰かけて、違いが分からないままメニューの一番上にあるコーヒーを注文した。
窓の外は車通りもまちまちで、平日の昼間だからか人通りもない。
(ここから俺の新しい生活が始まるんだ……へへっ)
運ばれてきたコーヒーをドキドキしながら一口飲んで、すぐにシュガースティックを二本空ける。
ふと、ナチュラルな店内に不釣り合いな香りが鼻をついた。誰かが真後ろに立っていると気づいたのはその時だ。
「こんなに席があるのに、どうしてそんな隅に座っているんだい?」
声に驚いて振り返ると、外国のおとぎ話から飛び出してきた王子様のような、目鼻立ちのくっきりとした男が俺を見下ろしていた。
(外人……?)
モデルのような甘いマスク。春風のように柔らかく波打つ髪を揺らして、首を傾げ、神様が気を使って制作したような形のいい二重の目が優しげに細められている。
咄嗟のことに頭が真っ白になり答えられずにいると、男はもう一度柔らかな声音で口を開いた。
「言葉を変えよう。そこは僕の席なんだ」
ぱちぱちと瞬きを二回して、ようやく男の言葉が頭の中まで届くと、一気に頭から耳まで熱くなる。
「あっ、あ、あの……ああっ」
もはや数分前までの優雅な気持ちはすっかり姿を消して、俺は罠にかかったアヒルのように慌ただしく、そして無様にその場から逃げ帰った。
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