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まず、じっと男を見つめてから、俺は駆けだした。
あいつの顔はきっと憶えておこう。それが、プライドをミキサーにかけられる相手への、僅かな弔いとなるのだから。
全速力で走り行く。
細い通路だとか、塀や木の上だとか、そんな小賢しい所へ隠れる必要もない。
…家だ。俺んちにさっさと帰ってやる。
これが、俺を見下した者への罰だ。
奴の声が、遠くから小さく「さーーんっ」と届いて来た。
よし、余裕だ。この速さならいける。
あいつが俺に追いつく前に、玄関に飛び込めばいい。
その作戦がバレたって構わない。
あいつは俺と約束をしたんだ。
「捕まえるまで、絶対に諦めない」って。
口約束とは言え、それを破るのはもはや女だ。なよっこい女子だ。
風を後ろになびかせてダッシュする。
最後の最後にも油断はしないよう、顔の筋肉は緩ませない。
確実に、勝ちに行く。
貪欲に、貪欲に。
…ははっ、あいつの叫ぶ数字はもう分からない。
道を数回曲がると、すっかり聞き取れなくなってしまった。
このバトルも、俺がもらった。
見慣れた建物。
確定した!
俺は急ブレーキをかけるようにその目の前で止まり、中へと突進して行く。
次は鍵だ!施錠、施錠!
そんなことしなくたって、まさか勝手にドカドカと人の家に入り込んでくるような奴とつるんでいたハズはないのだが、念には念を入れないといけない。
なぜなら、時に漢(おとこ)というのは、法さえもかなぐり捨ててプライドを手にすることがあるからだ。
だから、二階へ駆け上がるまで絶対に速度を緩めない。
短い庭を2秒ほどでコンプリートし、玄関扉を荒々しく突っぱねてーーーー。
「おっ、おい!なんだ!この!!」
刹那、目の前に大型犬が飛び出してきた。
俺が今開けかけた戸を、その体全体を使って押し閉じてしまう。
「やっ!やめろよ!ゴールはすぐそこなんだ!この!この!!」
ワウッ!ワウッ!と大声で吠えつかれるから堪らない。後ずさりしながらも、俺は必死に応戦する。
隣の庭木に右手を預けて左足を振り上げ、蹴りつけるフリをする。
…反撃が恐ろしいから、当てずに、脅かす程度の距離を保っているのだが。
「ワウッ!ワウッ!ワウッ!」
「こら!!どっか行け!男の勝負にどうして入ってくるんだ!こいつ!!」
だが、この犬はとても頑固だった。
全く怖気付かない。
俺はこの時になってようやく、そいつが雄であると認識した。
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