[1:時東はるか 9月2日2時15分]

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 有り難いことですよ、と口を酸っぱくしてマネージャーは時東を諭す。分かっている。そして時東も子どもではない。だから、へらへらと愛想を振り撒いて、適当に間の抜けたことを言って、味が分からなくとも、美味しそうに現地の料理を食べてやるつもりだ。「わぁ、美味しい」なんて、嘘だらけの感嘆とともに。  そのロケで、運命の味に出逢えうなんて、露知らず。時東はなにもかもが面倒になって、ベッドに倒れ込んだ。部屋はいつでも快適で、季節感を感じることもない。防音室に籠っていれば、蝉の声に煩わしさを覚えることもないまま夏が終わる。昔はこうではなかった。  十代の中ごろから終わり、若さにかまけてバンド活動に打ち込んでいたあの頃。住んでいた六畳一間のアパートの部屋はもっともっと暑かった。夏は寝苦しいし、冬はどれだけ着込んでも隙間風が吹き込んでくる。ギターの騒音で隣人に怒鳴り込まれた回数も数えきれない。  けれど、生きていた。きっと、あの頃の方が時東は生きていた。ままならない、なにもかもが。今の自分を一言で言い表すとすれば、これに尽きると思った。 [1:時東はるか 9月2日2時15分] 「最近、ご機嫌ですねぇ。悠さん」  トーク番組の収録を終え、次の収録先へと向かう車内である。運転席からマネージャーの岩見に話しかけられて、時東はスマートフォンの画面から視線を上げた。 「うん。ごはんが美味しいのは幸せだよねって気持ちでいっぱい」 「って、何を枯れた爺さんみたいなことを言ってるんですか。この後、クイズ番組なんですから、テンション高めにお願いしますよぉ」  バックミラーに映る岩見の童顔に、人畜無害な笑顔が浮かぶ。相変わらず、時東と一歳しか変わらないとは思えない幼さだ。
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