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座卓の冷たさが心地いい。頬を押し付けて目を閉じていると、何かが座卓にとんと置かれた。うっすらと目を開けると、鈍色の湯のみが鎮座している。
「蜂蜜柚子」
湯呑に手を伸ばすと、じんわりとした温かさが染み渡ってきた。
「蜂蜜は二日酔いに良いらしいぞ。体感したことはねぇけど」
二日酔いの経験とかないんだろうなぁ、この人、と時東は思った。それはちょっと羨ましい。そして、嬉しい。心の底から。
「マジありがとう、南さん」
珍しく計算のない笑みを浮かべた時東の鼻先に、鍵がぶら下がる。キーホルダーも何もついていない?き出しのそれ。
「俺、もう店出るから。おまえ、酔い醒めるまで休んでろ。バイク乗るのはそれからな」
「え? 鍵は?」
「郵便受けにでも入れといて」
鍵を受け取ったまま瞳を瞬かせている時東を一瞥したきり、南は居間を出て行った。ガシャン、と玄関の戸を閉める音が続いて、ようやく時東は口を開いた。
「行ってらっしゃい」
当然のごとく返事はなかったが、気分の問題だ。なんて雑な。と言うか、取り扱いの困るものを預かってしまった。すすっと鍵を机の端に置いて、とりあえずとばかりに湯呑に時東は口を付けた。
――郵便受けに鍵、って。どこの田舎の昭和ドラマだよ。俺は平成生まれだ。南さんは……そういや、どうなんだろう。ギリ、平成かな。
なんとなく、ザ・昭和なイメージがあるけれども、だ。たぶん、そこまで年は離れていない気もする。年上であることに間違いはないとも思うけれども。
「甘い……」
独り言ちて、時東はまた一口、呑み込んだ。やわらかな甘さが胃に広がっていく。不意に、幸せだなと思った。朝の陽ざしが入ってくる、自分以外の誰かの気配の残る部屋で、一人。手には自分のために淹れられた味の分かる飲み物がある。この空間は、優しさに満ちている。
収録が長引いた苛々だとか、いつまで経っても新しいフレーズが生まれない行き詰りだとか。そう言ったものが流れ落ちていくのを確かに感じた。
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