[0:南食堂 11月4日22時24分]

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「南さん、お勘定」 「だから、おまえは客じゃねぇ」 「それって」 「斜め上の意訳はいらねぇからな」  大仰に目を煌かせた時東を切り捨てて、南は再び包丁を手に取った。これもまた父が使っていたものだ。二年の間に南の肌にも徐々に馴染んできた。  のれんの上がっている時間帯に来るな。営業妨害だと初っ端に告げたのは南で、それを律儀に順守しているのが時東だ。それだけだ。 「まぁ、俺としては、のんびりさせて貰えて大満足だけど」  がら、と鈍い音を立てて時東が戸を引く。南の手元にも霜月の冷たい夜風が吹き込んできた。田舎の夜は暗い。外は真っ暗だ。 「時東」  声をかけると、華やいだ顔が振り向いた。洒落た店の一つもない田舎の、築数十年になる食堂の軒先。何の変哲もない場所が、テレビのワンシーンのようになるのだから、芸能人とやらのオーラは凄まじい。 「気を付けろよ」  若手人気歌手、事故死だなんてニュースを見たくはない。  微笑んだ時東がひらりと手を振った。やっぱりどうにも華がある。だからだ。だから、ただ飯食いをするだけの男が居なくなっただけなのに、寂しいように思うのだろう。  店の外で、バイクのエンジンが唸る音がした。ロケ後、初めて来訪した折に、あまりにも派手な車で来たものだから、目立つ車で来るなと言ったのだ。以降、車に比べれば、多少は地味なバイクになった。  そう言った素直なところは、存外かわいい。さほど年も変わらないでかい男だが。  おそらくはまた隔週、十八日の金曜日。  少しだけ、多めに仕込んでおいてやるとするか。バイクの音が次第に小さくなり、自分以外誰もいない店内は、ぐつぐつと鍋が茹だる音だけが静かに響いていた。
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