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思わず突き飛ばす。倒れた男は自分の足元に尻餅をついていた。彼は、いつもとは逆に自分を見上げていた。男が自分を見上げる視線は一瞬怯み、そこに映っているのは、彼よりも大きな少年の姿。もう一度、自分の手を見る。いつのまにか小さな子どもの手から大きく筋張った手に変わっている。初めて、彼を、そしてただ殴られているだけの自分を拒絶したときの、成長しかけの手。
「……あぁ、なんだ、そうか」
誰にも頼らなくても、こうしたらよかったのか。もう、殴なれているだけの子どもじゃない。自分の力で助かればいい。自分は自分を裏切らない。自分さえ、強くあれば。
へたり込んだ男よりもいつのまにか大きく、強くなっていた自分。あれほど大きく恐ろしく見えた男が随分と小さく見えた。
背後にいた母が、いつもと同じように呟いた。
「ごめんね」
母は、この女は、一体誰を見て、何に対して言っているんだろう。振り返る。見上げる瞳には一杯に盛り上がった涙。彼女は、自分よりも弱く見えた。
弱いんだから、仕方ない。自分を助けてくれなかったことも、全部仕方ない。愛してくれていなかったなんてことは言わないから、だから、これでさようなら。もう殴られるのも嫌だ、母が泣きながら謝るのも嫌だ。それくらいなら、自分がここから出て行く。ひとりで、生きていく。
『ごめんね』
女性の声に、男性の声が重なった。ハッと飛び起きる。目の前で、スマホを耳に当てている男。
「はいはい、分かったって、大丈夫。じゃあ、もう切るね。……あ、ごめん、起こしちゃった?」
「……大地、さん?」
「ちょっと電話かかってきて。うるさかった?」
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