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そう言って彼女はバッグへと手を突っ込んだ。彼女が取り出したのはギラリと鈍い光を放つ包丁。一気にさぁっと血が降りていくのを感じる。そうだ、こういう人間は逆上すると何をするか分からない。忘れていた。まずい、なんとかしなくちゃいけない、そう思う。しかし、足が動かなかった。
「かすみ!」
後ろから響いた声に、振り返る。
「大地、さん……!」
「何してるんだ、やめろ!」
そう言って、彼は女に駆け寄っていく。
「大地さん、危ないから……!」
「大丈夫だから、君はそこにいてっ」
高砂の横を通り過ぎて、大地は彼女の手首を強く掴んだ。
「だって! だって貴方が……!」
「やめなさい、いつも君はそうやって暴走するんだから! 何度も言ってるだろう、そんなことをしなくとも俺は、香澄、君を愛してるって」
大地は、そういって包丁を持った彼女を強く抱きしめた。
「……大地さん?」
大地は彼女を抱きしめたまま、その手で彼女の背中を撫でている。彼女の手からカシャンと包丁がアスファルトに落ちた。そうね、ごめんなさい、と落ち着き始めた女の小さな声。
「……大地、さん?」
「高砂君、ごめんね、迷惑かけて」
あぁ、そうだ。
そうだ、彼は。彼は。彼は。
「……大地さん」
ふらりと近寄る。足元の包丁が光を受けて輝いている。それをそっと手にとった。
「……貴方が好きなのは、私じゃないんですか?」
傷ついてる自分を抱きしめてくれた腕は、その優しい微笑みは、かすみ、と呼ぶ声は、全部。
包丁を、手首に強く当てた。大地が振り返る。
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