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晃一は男の腕をとった。しかし、男が噛み付いたと思われる箇所に傷はなかった。血が出ていたのだから、傷口があるはずだ。けれど、どんなに丹念に目を凝らしても見つからなかった。
「まさか、もう治ったのか?」
信じられない。だが、そうとしか考えられない。
異常なまでの回復力である。
一体、この男は何者なのか。
五十年間を昼寝にもならないわずかな期間と言い放ったり、血を欲しがったり、傷の治りが異様に早かったりと、ふつうの人間とは異なる存在のようである。
あまつさえ、『星屑散りて』を返してもらうという。
「それだけはイヤだ、絶対に」
男が何者だろうと構わない。
けれど、あの絵を手渡すわけにはいかないのだ。
突然現れた異端の来訪者に、戸惑いと敵意を覚える晃一だった。
夜になり、店仕舞いを終えた晃一が居間に戻ると、男はまだ眠ったままだった。
日が沈んでしばらく経つ頃にようやく風が出てきた。縁側に吊るした風鈴がチリンと音を鳴らす。晃一は扇風機の風力を弱めた。
「……うっ」
男が身じろぎ、ゆっくりと目を開いた。
「気がついたか?」
男は焦点の合わない瞳で晃一を見上げた。自分の置かれている状況を把握しきれていないのか、呆然と呟いた。
「……ここは?」
「オレの家だ。光月堂の奥にある」
「貴様……ヤイチではないな」
「孫の晃一だ。あんた、じいさんの知り合いなのか?」
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