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信長は現在、自ら摂津に赴き城を築いていた。
匠の助言で摂津の農民を募り工事にて働かせ賃金を支払っている。
年貢も織田家直轄と言う事で三割しか徴収しないと発表した。
南摂津の本願寺に対する調略だと信長に説明してある。
「織田家のお膝元は民を大事にしてくれる」
そんな噂が南摂津にも広まる。
故に銭が幾らあっても足りないのである。
信長は、紀伊に越中、そして新たに得た七ヵ国の開発は流石に厳しかろうと匠に言うが、
「今こそ苦労をする時なのです」
て一言で済ませてしまうのだ…
匠は、藤徳屋に頼み銭を摂津に届けさせた。
藤徳屋は今こそ匠への恩返しの時と言わんばかりに信長に銭を届ける。
なんと!百万貫…
流石にその銭を見て信長も驚きを隠せずにいたと言う…
匠は更に摂津に藤倉徳兵衛を派遣し南摂津の百姓を手懐けさせ織田方へと心を移すよう仕向けた。
尾張、美濃、三河西部辺りでは、徳の徳兵衛と言われた藤倉徳兵衛は、「宗旨より今日の飯にありつく為」にと、匠直伝の農法を教え、じゃがいもやさつまいもの種芋を配り歩き、みるみる百姓衆を手懐けていった。
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