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藤沢家の支配となった若狭、越前、北近江は今までに類をみない改革が開始された!
旧浅井、朝倉家臣は全ての領地を召し上げられ、その領地からの採れ高に応じた録と扶持にて召し抱えられる事になったのである。
各武将は新たに築かれる城の城下に屋敷を与えられそこに住む事を義務づけたのである。
各支城は解体されその材木は再利用し一郡に対し一つの奉行所が築かれた。
奉行所の長官はある一定の期間勤めると移動するよう定めた。
奉行所では戸籍の管理や訴訟の裁判、治安の維持管理、年貢の徴収等、様々な機関が総合的に行われる役所である。
この改革を行うにあたり、最初に同意したのが、朝倉義景であった!
義景は匠の政策に感銘を受けて家臣たちの説得に当たる。
浅井家の隠居浅井久政は大反対であったが、それも義景の説得により改革は開始されたのであった。
匠は若狭湾の拡張工事と湾に城を築城、越前の主城を海岸線に移す工事と新たに港を作る工事、北近江の主城を琵琶湖の北側に移す工事と、琵琶湖から北へ…越前の主城との間を水路で繋ぐ工事を同時に着工したのであった!
愚痴も言う間もない程に働かされる旧浅井朝倉家の家臣…
同時に領内の開発や開墾、開拓や発展にも手を着ける匠であった。
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