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信長は岐阜に戻ると直ぐに人事を決めた。
信濃には一門の織田信包を入れ、甲斐には三男の神戸信孝に滝川一益を付けて入れた。
そして…
徳川家康の嫡男、徳川信康は城主に相応しくないとし、藤沢匠の預かりとなったのであった。
三河衆の中には、その仕置きに反発の声も上がったが…先だっての信康の動言を知る者たちは、「致し方無し」と反発する者の説得にあたり、その声を抑えたのであった。
家康も最初は驚き理由を調べていく内に…顔が赤くなる思いをしたのであった!
藤沢匠からの手紙がなければ、切腹を申し渡す所であった。
南近江の織田信忠は、信濃攻略の功により、織田家の執政の立場を獲得した。
藤沢匠は信長に「貿易勝手」の御免状をねだり、信長はそれを笑って許可をした。
そもそも、貿易の禁止をしていないし、ましてや信長の腹は全く痛まないのである。
しかし…「貿易」に目を着けていた匠の着眼点に「流石は匠よ!」と思わず口に出てしまった。
信長もこれからは「貿易」で財を増やすつもりでいたからである。
京の都の将軍の件は、匠曰く…
「放置に限ります」と言う事なので、無視をする事にしたのであった。
考えてみると…これ程惨めな仕置きはないと…後で考えてみると…思う信長であった。
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