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藤沢家では、新たに織田家執政となった織田信忠の要請で信濃と甲斐に人を派遣し、国の開発の手助けをしつつ、朝鮮や明との貿易の段取りを着々と進めつつ、若狹、越前、北近江の富国にする為の事業も推し進めていくのであった。
加賀の前田家、能登の明智家には、工芸や陶芸の職人を派遣し技術を提供し漆塗りの漆器や陶器、海産物の乾物等の売買契約を結ぶ。
物品は越前に集められ朝鮮や明との貿易の商品か、藤徳屋の販売経路に乗り国内で販売されるのだ。
他にも、南近江の織田信忠と連携し琵琶湖での淡水魚の養殖業や越中の柴田家と連携しての魚の養殖や海産物の加工場の設備などを手掛けている。
織田家に属する大名や領主は総て藤沢家と関連性を持っているのである。
匠はそうして得た財を信長に収めその財を持って、朝廷に献金するようにと薦める。
信長は惜しみ無く朝廷に銭を注ぎ込むのであった。
日の本の銭は藤沢で回る
このような言葉が囁かれる程に藤沢家は誰もが一目置く大名家となったのであった。
藤沢家の預かりとなった徳川信康は、そんな藤沢家に身を置き働いている内に…自分がいかに愚かであったのかと言う事を痛感し、それを払拭するには、様々な事を学ぶ事だと匠に諭され、がむしゃらに働き経験を重ねていく。
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